2026年8月2日  「神の約束を信じて」イザヤ7 :1-17 

与えられたテキストは、イザヤ書7章1-17の「インマヌエル預言」です。イスラエルは、北と南に分裂し、非常事態です。北から大国アッシリアが侵攻してきました。アッシリアの侵略に対抗して、北王国はシリアと同盟を結び、さらに、シリアは南王国に、同盟に加わるようにと軍を向けて迫ってきました。南王国は、同盟に加われば、アッシリアに滅ぼされ、加わらなければ連合軍に征服される。前には後ろにも動けない窮地に立たされていました。その時の王アハズの心は、「森の木々が風に揺れ動くように動揺した」(:2)。「揺れ動く」は「折れる、倒れる」という意味です。大木が折れるように動揺したというのです。

その時、預言者イザヤは神からアハズ王に会い、神の言葉、「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない」を伝えることを命じられました。「落ち着いて・シャマール」は「注意深く、慎重に」、「静かにして」は「冷静に、平静心をもって、慌てない」という意味です。イザヤは、「恐れなくても良い、何故なら、アハズ王が恐れているレッインとペカは、燃え残って、くすぶっている切り株にすぎない。信仰をもって冷静に事実を見るように、」と勧告しました。しかし、アハズ王はエルサレムに迫って来る同盟軍を見て、見えない神を信じることが出来ません。「シリアのレッインと北王国ペカの二人の王が、同盟に参加しないアハズが失脚し、タベアルの子を王にしようと策略を企てている」と、猜疑心に苦しんでいます。それを聞いたイザヤは、恐れるアハズ王に、「主なる神は言われる、『それは実現せず、成就しない』」と告げた(:7)。二人の王の計画は神の意思、神の計画ではないから、実現することはない。そして、旧約聖書の中心的信仰、信じなければ、確かにされない。」と言います(:9)。言い換えれば、「信じるならば、確かにされる」「確かにされる」は「立つ、持続する、生きる」という意味です。ヘブル語では「信じる・アマン」と「確かにされる・立つ・アーマン」は同じ語源です。つまり、「信じる」と「確かにされる、立つ」です。神の言葉を信じ信頼することによって、確かにされる、立つこと、生きることができると言うのです。

南王国ユダは、北のアッシリア、南のエジプトの大国に挟まれた小国です。その弱小国が生き延びる術は神を信じ、信頼し、委ねる他はない。言い換えれば、永久中立、平和、対話、寛容、愛の外交です。武力や金に頼れば、滅び、滅ぼされます。神の言葉を信じ信頼し生きる、それが神の民としての本来の在り方であると言うのです。

しかし、アハズ王は恐れから、優柔不断で決断できません。イザヤは「主なるあなたの神にしるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に」と言います(:10)。意訳すると、「深い陰府の方か、高い天の方か、どちらに求めるか」と決断を迫るのです。「深く陰府の方に」というのは「アッシリアに援助を求めること」を意味します。「高く天の方に」は、「神の約束を信じて、外国に援助を求めず、自力で防衛すること」を意味します。つまり、高い天の方に決断し、神を信じて、信頼して、生きよと言うのです。しかし、アハズ王は頑なで、決断ができません。神を信じる信仰では、この危機を乗り越えることはできないと言います。

イザヤは、もう一度、「それゆえ、わたしの主が御自らつまりあなたたちにしるしを与える。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと 呼ぶ。」と言う(:14)。いわゆる「インヌマエル預言」です。この「男の子を産み、彼女が名をつける」は、「新しい王の即位」を意味します。イザヤは「アハズ王は神を信頼しないで、深く陰府の方(アッシリア)に援助を求めるために滅び、代わって新しい王が即位する」と預言します。

このイザヤの預言は、アハズ王を憤らせ、イザヤを激しく迫害しました。イザヤは孤立無援の窮地に立たされます。しかし、イザヤはひるみません。「どのような迫害を加えられても、神の言葉を信じ、信頼して生きなければ、生き抜けることはできな」と主張しました。神の約束の信頼と決断は、国にしても、個人にしても、将来を決定する決定的なことだと言うのです。

「生まれてくる子は、インマヌエルと名付ける」とあります。「イン・共に」、「マヌ・我ら」、「エル・神」です。「神は我らと共にいる」です。イザヤが、アハズ王に会見するとき、子供を連れて行きます。その子の名は「シェアル・ヤシュブ・残りの者」という意味です。その子が象徴しているように、神を信じ、信頼して生きる者は残り者、少数だと言うのです。皆、アハズ王に従ってゆく。イザヤは孤独です。しかし、「神は我らと共にいる」です。イザヤは、それまでの「神はあなたと共にいる」を「神はわたしと共にいる」に言い変えました。人は、真の信頼者、拠り所がなければ立つこと、生き抜くこと、人間らしく生きていくことが出来ないと言います。その真の信頼者、真の拠り所、救い主こそイエスであると言うのです。真の拠り所であるイエスを信じ、信頼する道を歩んで行きたいと思います。