2026年8月9日 「主に託された福音宣教」使徒言行録16:1-10

与えられたテキストは使徒言行録16;1-12節です。テモテは父がギリシャ人、母がユダヤ人の間に生まれたユダヤ人でした。パウロが第二回目の伝道旅行に出発にする際に、テモテが福音宣教の協力者として選ばれました。その際テモテに「割礼」を授けたことが大問題になりました。「割礼」はユダヤ律法主義者にとって、アイデンティー誇り、ユダヤ人の生命、証拠でありました。パウロはキリストの福音を受け入れる前は「割礼」を信じ、受け入れていました。イエスに出会い、イエス・キリストを信じ、受け入れました。その後は「割礼」を否定してきました。救いは、人間の律法や行い、功績では与えられない。神の一方的な恵みを信じる信仰によって与えられると信じていました。割礼を受けることは、イエスの十字架の死を無駄にすることになると、割礼を否定していました。ところがパウロは「割礼」をテモテに与えるというのです。ユダヤ律法主義者はパウロを許しておくことはできず、「割礼」をめぐって激しい戦いが起こりました。ユダヤ律法主義者は、パウロの使徒職を剥奪するど激しい争いになりました。聖書学者の中には、パウロの「割礼剥奪」は考えられないと、この事件の史実性を否定する学者もいます。パウロがテモテに「割礼」を授けたのは事実であると思います。ユダヤ主義ファリサイ派の人々は、律法を否定し、イエスの福音を信じ、福音の宣教者パウロの同行者テモテを認めることはできませんでした。同行の引率パウロの信仰、福音宣教を赦すことができませんでした。パウロは、何をおいても人の救いを優先しました。「人の救いのためなら、わたしはなんでする」と言うのがパウロの行動原理でした。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。また、わたしは神の律法を持っていないわけではなく、キリストの律法に従っているのですが、律法を持たない人に対しては、律法を持たない人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。弱い人に対しては弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してはすべてのものになりました。何とかして何人かを救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。」(コリントⅠ9:19-23)。「福音のため、人の救いためなら、わたしはどんなことでもする」。パウロの行動原理です。人が希望を失い、絶望しているならば、なんでもする。喜んで奴隷になる、と言っています。パウロの福音に対する情熱、誠実さ、真摯な態度が表れています。パウロの信仰、祈り、生、生きる原理です。

パウロの伝道旅行の予定を変更しなければならなかったことがありました。一回目の変更は、アジア州に伝道に行こうとしたが、それが許されず、(実際何があったかのかは解りません)、やむなく北へ転じ、フリギア・ガリラヤ地方へ入って行きました。二回目の予定変更は、さらなる伝道の機会が与えられたと心を躍らしながら、ビティニア州に入ろうとしたが、許されず、港町トロアスに下った。そこで一つの夢を見て、急遽エーゲ海の向こうのマケドニア、即ちヨーロッパの世界に渡って行くことになりました。その意味では、伝道の旅は予定変更の旅だと言えます。伝道の旅の目的は、バルナバと回った第一回の伝道旅行の後を問安することでした。しかし、その計画は全く変えられてしまったのです。前回旅を共にしたバルナバと、マルコを巡って意見を異にし、別々の旅をすることになりました。そして、二回の予定変更、神は人の予定や人生設計の変更を迫る神です。神は人の願いを叶えてくれない神だと思われそうです。一般的考えるならば、神は人の願いを叶えてくださる、人の予定や計画を実現してくれるのが神です。願いを叶えてくださるから、神を受け入れ、拝み、祀ることができるのだと思います。しかし、パウロの信仰は違います。人間の予定や計画を変更する神です。人は予定や計画が、挫折しないで、自分の設計通り歩むのが、幸せであり、成功だと言われます。ですから、計画や人生設計を変更したくない、挫折したくないと思います。しかし、実際は、その通りにいきません。予定を変更せざるを得ないことが次々に襲います。自分の弱さや失敗で、不条理な、理不尽な出来事で、予定を変更せざるを得ないことが起こります。ですから、問題は、その予定変更をどのように受け止めるかだと思います。後退や挫折、敗北としないで、積極的に肯定的に受け取る。それが御言葉のメッセージです。パウロの場合ですが、パウロは、伝道の成果を期待し、心躍らせて進もうとした道が、二回も阻まれる。予定を変更しなければならない。パウロは失望落胆し、涙ながらにトロアスに下って行きました。しかし、不思議な出来事と出会いが起こります。そこで医者のルカに出合うのです。ルカは「ルカによる福音書」と「使徒言行録」の著者です。ルカは医者、パウロは患者。パウロの最高の同伴者ルカとの出会いです。ルカも、パウロとの出会いによってキリストを知りました。それはルカの生涯にとって決定的なことになりました。ルカもまた大きな予定変更をしました。パウロと共に伝道旅行に出かけて行くのでした。

パウロとルカの出会うことによって「夢」を見ます。一人のマケドニア人が「こちらに渡って来て、わたしたちを助けてほしい」と、しきりに願う夢です。パウロは、その夢を見て、一つの決断をします。それはマケドニアに福音を伝道するように招かれていると信じたのです。そして、予定と計画を変更し、マケドニアに渡って行く決断をしました。その決断によって、フィリピに、コリントに、テサロニケに教会が生まれるのでした。「異邦人に福音を伝える器にする」という神の御旨・計画が実現するのでした。パウロは、最初は自分の弱さのゆえに、 急遽の予定変更と思い、虚しい、悔しい思いでした。予定変更は虚しい、悔しいことが多いです。予定変更のあとは、落ち込みます。失敗だと思い込み、失望し、悲観的になりやすいです。しかし、パウロはその背後には神の計画、計らい、勝利が必ずあると言います。「人の心には多くの計らいがある。しかし、主の御旨のみが実現する」(箴言19:21)。どあるように、出来事にも。その背後に神の支配と導きがあることを信じて行きたいと思います。