2018年5月20日 使徒言行録9章10-19a節 「聖霊が降ると」

 今日はペンテコステ礼拝です。与えられたテキストは使徒言行録のアナニアの聖霊降臨物語です。アナニアが、どういう人物か、詳しいことは分かりませんが、ユダヤ教から改宗したキリスト者であることは確かです。そのアナニアに、主が現れ、サウロのところに行って、わたしの言葉を告げよと命じました。アナニアは「サウロ」と聞いて、大変驚きました。なぜなら、サウロはエルサレムで、キリスト者を迫害し、ステファノを石打で処刑し、さらに、ダマスコまでやって来て、キリスト者を捕え、獄に投じたからです。アナニアは迫害者のサウロを恐れて、身を隠していました。そのアナニアに、主が現れ、「直線通りと呼ばれる通りに行き、ユダの家にいるサウロを訪ねよ」と命じました。アナニアは、「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、クリスチャンにどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ダマスコでも、御名を呼び求める人を捕らえるため、祭司長たちから許可を受け、暴れ回っています。主の命令ですが、それだけは従えません」と拒みました。しかし、主は、臆するアナニアを聖霊で満たし、「サウロのところに行きなさい」と命じました。アナニアは聖霊に促されて、起ち上がり、サウロを探し出し、彼の上に手を置いて、「主は、あなたが元どおりに目が見えるようになり、また、聖霊に満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです」と言いました。すると、サウロの目からうろこのようなものが落ち、元どおりに見えるようになりました。聖霊によって、サウロもアナニアも生まれ変ったように新しくされたのです。これがサウロとアナニアの聖霊降臨物語です。
使徒言行録1章8節に「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地に果てに至るまで、わたしの証人となる」とあります。「聖霊」はギリシャ語で「プニューマ」と言いますが、「力」とも訳せます。「力」はギリシャ語で「デュナミス」と言いまして、「ダイナミックス」の語源で、全てを造り出す創造的な力を意味します。文語訳は「能力」と訳しています。加藤常昭先生は「聖霊は礼拝を生み出し、教会を生み出す力」と言っています。聖霊は人を生まれ変わらせる力です。
聖霊とはなにか、という問題ですが、使徒言行録2章3節に「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした」とあります。この「一人一人にとどまる」は「中へ」と「住む」という意味があります。聖霊は弟子たちの一人一人の中へ入り、内側から造り変えて変えていく力を意味します。
「霊」は、ヘブル語では、「ルーアッハ」と言います。エゼキエル書37章5節に「見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る」とあります。エゼキエルは、深い谷の中に導かれ、ひどく枯れ果てた骨が散らばっている光景を見せられ、その枯れ果てた骨に向かって神の言葉を語れと命じられました。エゼキエルが命じられたように神の言葉を語ると、枯れ果てた骨は組み合わされ、筋ができ、肉がつき、皮膚に覆われました。その骨に霊・ルーアッハが吹き込まれると人になったと言うのです。つまり、霊・ルーアッハは人間の創造の源、人を生かす究極的な希望だと言うのです。
パウロはコリントの信徒への手紙Ⅱ3章6節で「文字は人を殺しますが、霊は人を生かします」と言っています 。「文字」とは「律法、戒め」のことで、人の罪を指摘し、自覚させますが、罪を赦し、人を自由にし、生きる喜びを与えることはできません。しかし、霊は人に命を与え、命を生み出す。罪を赦し、人を生かします。
パウロはフィリピの信徒への手紙3章5節で、聖霊経験について、「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみなしています。キリストのゆえに、わたしのすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」と言っています。「あまりのすばらしさ」は「上に」と「聳える」と言う二つの言葉から成っています。キリストを信じる信仰は「聳え立っている、何にも優って偉大である」と言うのです。7節に「わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです」と言います。「有利」は「価値がある。大切である、重要である」という意味で、「損失」は「無価値、無意味、色褪せる」という意味です。聖霊経験によって、それまで「価値ある」ように見えたものが、「無価値」に見えるようになりました。価値観、存在の仕方、生き方が180度転換させられた。キリストを信じる信仰の余りのすばらしさに、他の何もが色あせて見えると言うのです。ローマ信徒への手紙14章8節に、「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです」とあります。聖霊は、パウロの心の内で価値転換を引き起こし、パウロを新しく生まれ変わらせる力、パウロを真に生かす力です。
カラヴァッジョの「聖サウロの回心」が鳴門の国際大塚美術館に展示されています。サウロは落馬し、馬の足元に仰向けに倒れています。倒れているサウロを驚きながら、見ているアナニアと思われる人が描かれています。パウロの周りは暗く、サウロの上に一条の光が注がれています。それは聖霊の力を象徴しているようです。サウロは光の方に両手を広げて立ち上がろうとしています。聖霊は一度死んだサウロを起ち上がらせられています。聖霊の力を受けて、新しくされたパウロの誕生です。パウロは自分の力で生きているのではなく、聖霊の力によって生かされていると言うのです。わたしたちも聖霊に力を受け、生まれ変えられ、新しくされて、力強く歩んでいきたいと思います。