2018年7月22日 ルカ福音書13章22-30節 「主に従う決断」

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 与えられたテキストはルカ福音書13章22-30節です。以前に「1パーセントを越えよう。どうしてクリスチャンの数が日本人の人口の1パーセントを超えられないか。越えるためには?」というテーマで超教派の集会がありました。また、前のICU教会牧師古屋安男先生の「なぜ日本にキリスト教は広まらないのかー近大日本とキリスト教」という著書も同じ様な問題をとりあげていました。
今日のテキストでも、弟子の一人と思われる人が、神の言葉を伝えても、救われる者が少ないと言う現実に失望落胆し、「主よ、どうして救われる人は少ないのですか」とイエスに尋ねています。イエスの時代でも、救われる人が少ないという切実な問題があったと言うのです。しかし、イエスは、「どうして救われる人は少ないのですか」という問いに、直接的に答えないで、「狭い戸口から入るように努めない。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ」と答え、問うた人に決断を迫っています。この「努めなさい」は、「闘う、苦闘する」という意味を持っています。信仰は自己との戦いだと言われますが、「心の格闘をしなさい」と言うのです。
マタイ福音書7章13節には、「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道は広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない」とあります。イエスは、救われる人が多い少ないは、本質的な問題ではないと言うのです。救われる人が少ないことで、自信を失ったり、迷ったりしないで、イエスに従う道を選ぶように求め、促しているのです。
ヨハネ福音書21章20節に「ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。ペトロは彼を見て、『主よ、この人はどうなるのでしょうか』と言った。イエスは言われた。『わたしが来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしにしたがいなさい』」とあります。イエスは、いつも、「あなたは、・・・・」と呼びかけ、「あなたはわたしに従いなさい」と言い、あなたが決断することを求めています。
 5節には、「家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、戸を叩き、『開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけだ」とあります。この言葉は、イエスが来られ、神の国を語り、決定的な時が到来したことを意味します。つまり、イエスが神の国を語る時・カイロスを逸さないようにと言うのです。
 26節には「そのとき、あなたがたは、『御一緒に食べたり飲んだりしましたし、また、わたしたちの広場でお教えを受けたのです』と言い出すだろう。しかし、主人は、『お前たちはどこの者か知らない。不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ』と言うだろう」とあります。「不義を行う者」とは、何か悪事を働いた人のことではなく、決定的な時・カイロスの時に、決断をしない人のことを意味します。イエスは、今の時・カイロスの時を逃せば、二度と訪れることはないと実存的な危機認識を持ち、イエスに従う決断をすることを求めておられるのです。「御一緒に食べたり飲んだりし、広場でお教えを受けました」と、過去の時・クロノスを取り上げても、それらは救いの根拠にならない。今の時・カイロスの時に、主イエスに従う決断をするようにと言うのです。
29、30節には、「そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある」とあります。過去に信じ、救われたと言っても、今のカイロスの時、イエスを信じて、決断しなければ、真の救いに与ることはできないと言うのです。
 ホルマン・ハントの「世の光」はヨハネ黙示録3章20節の「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている」という言葉から生まれた絵画だと言われています。「だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。勝利を得る者を、わたしは自分の座に共に座らせよう」とあります。主イエスは、戸口の外に立って、心の扉を叩き、心の扉を開くことを待っておられます。ホルマン・ハントの絵画では、戸口にノブがなく、戸口の内側についているように描いています。つまり、心の扉を自分の方から、決断して開かなければなりません。自分の方から心の扉を開くと、主イエスがその中に入って来られ、食事を共にする。わたしの心に触れ合い、親しい交わりを生み出します。その交わりはわたしに永遠の命、永遠の勝利、希望と勇気を与えると言うのです。
 榎本保郎先生は「決断するとは、『自分の十字架を負って主に従う』ことです。決断して主に従うと、『わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い』と言う主が傍らに立ち、重荷を一緒に担ってくださる貴重な経験を持つことができます。時には苦悩することがあり、忍耐を求められることがありましたが、それの何倍にも勝る喜びがあります」と言っています。狭い戸口から入ることは、戦いであるし、苦闘でもあります。しかし、その苦しみに勝る神の恵み、喜びがあります。そのことを信じて、イエスが求めるように、すべてを主に委ねる決断をし、主に向かって、前進していきたいと思います。