2018年4月22日 ルカ福音書12章1-7節 「イエス・キリストと共に」

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 今日のテキストはルカ福音書12章1-7節です。文脈を見てみますと、11章にイエスが「あなたがたは、杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と悪意に満ちている。あなたがたは神の遣わした預言者や使徒たちを迫害し殺した」とファリサイ派の人々や律法学者を批判しました。ファリサイ派の人々と律法学者は、イエスの言葉に敵意を抱き,イエスを捕らえようと相談し始めました。それを知り、恐れ戸惑う弟子たちを励ましているのが今日の御言葉です。
4節に「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れてはならない」とあります。イエスは恐れ戸惑う弟子たちから、恐れを取り除こうとされたのです。ちなみに、平衡記事のマタイ福音書10章を見ると、16節に「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ」とあります。この「恐れるな」という言葉はイエスが弟子たちを伝道に派遣する時、語られています。イエスが弟子たちを派遣する際に、一番心を使ったのは、弟子たちのうちにある「恐れ」を取り除くことです。
加藤常昭先生は「日本人が一番恥ずかしいと思うことは、『あなたは臆病だ、意気地なしだ』と言われることである。心のうちにある恐れの心を指摘されることを嫌い、臆病であることを知られたくない。人は、本当は恐れる存在なのに、それを素直に認めないで、怖くないと意地を張る。そのために恐れから解放されないで、恐れの奴隷になっている」と言っています。サルトルが「他人は地獄」と言うように、わたしたちは自分が周りの人々から、どのように思われているかが一番気になって、常に「恐れ」の心に捕らわれているのではないでしょうか。恐れは、わたしたちの人格を歪めるサタン的な力です。その恐れから解放され自由になるのが、イエスの信仰であると言うのです。
日野原重明先生は、「平静の心」を座右の銘としていたそうです。先生は「わたしたちが成功を収めているときも、あるいは失意に打ちひしがれているときも、どんな時でも、平静の心をもつことは至難なことである。わたしたちが人生を歩むとき、無くてならないものは平静な心である」と記しています。イエスは弟子たちから恐れの心を取り除かなければと思い、「恐れるな」と言われました。それは、我慢の勧めでも、叱咤激励の言葉でも、命令でもありません。「恐れなくてもよい。恐れる必要はない」と言うのです。
6節に「五羽の雀が二アサリオンで売られているのではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている」とあります。一羽の雀が神に養われている、それ以上に、あなたがたは養われている。あなたがたの髪の毛の一本残らず数えられているように、神はわたしたちのことを知り尽くしていると言われるのです。
ガラテヤ信徒への手紙4章9節に「ところが、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々の奴隷として仕えていました。しかし、今は神を知っている。いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない緒霊の下に逆戻りし,もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか」とあります。パウロは「神は、わたしたちが知る神ではなく、わたしたちを知り尽くしている神である」と言っています。神はわたしたちの全てを知っていてくださいます。マタイ福音書6章には「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる」とあります。神はわたしたちの苦しみ、悲しみ,喜びなど、全てを知り尽くしていると言います。ですから、日野原先生が言われるように、わたしたちは、どのようなことに出会っても、平安で,平静でいることができると言います。
夫を亡くされた方からお手紙を頂きました。手紙の中に、ヨハネ福音書14章の「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は,真理の霊である。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいる。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない」というイエスの言葉が引用され、夫を亡くしましたが、神がすべてを知って配慮してくださるので孤独ではありません。生きる時も死ぬ時もすべては主のみ手の中にあります。それがわたしの信仰ですと、記してありました。最愛の夫を天におくり、悲嘆に暮れているのではと心配していましたが、平静で、毅然とされている姿を拝見し、わたしは敬服しました。海上は荒れ狂っていても、深海は静かなように、落ち着いて、平安でおられる姿に、感動させられました。
イザヤ書30章15節に「わが主なる神は、こう言われた。『あなたがたは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と」とあります。目には見えませんが、わたしたちの根底には神の支えがあります。神は御力をもって支配する導きがあります。わたしたちの人生は神の愛を土台として成り立っています。イエスはその真実を明らかにされたのです。神の真実を認め、受け入れることをイエスは求めています。わたしたちはこの世を生きる限り、不条理と矛盾に満ちた出来事に出会います。しかし、神は、「恐れなくてもよい、恐れる必要なない、わたしはあなたと永遠に共にいる」と言われます。イエス・キリストの言葉を信じて、勇気と希望を持って、自由に,大胆に生きていきたいと思います。