2019年1月6日 創世記12章1-4節 マタイ2章13-15節「出立つ」

 与えられたテキストは創世記12章1-4節とマタイ福音書2章13-15節です。アブラム(アブラハム)がハランに住んでいた時、「わたしが示す地に行きなさい」という神の言葉が臨みました。「行きなさい」は、「出立、出発する」と言う意味です。言い換えれば、アブラハムの出立、旅立ちの物語です。創世記12章2節を直訳しますと、「出よ、生まれ故郷から。別れよ、あなたの親族から。離れよ、父と父の家から」となります。「出よ」、「別れよ」、「離れよ」という三つ動詞の命令形を並べて、彼が頼ってきた過去の血縁と地縁から出る、別れる、離れることを強調しています。この「出る」は、マルコ福音書8章34節の「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」の「自分を捨てる」と同じ意味です。またエフェソ4章22節の「滅びに向かっている古い人を脱ぐ捨て、心のそこから新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、・・・・」の「古い人を脱ぎ捨て」も同じです。出立、旅立のためには、古い人、古い自分、過去を脱ぎ捨てる、決別することが求められています。
 創世記19章には、アブラハムの甥ロトとロトの妻の出立物語があります。17節に「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びる」とあります。神が「後ろを振り返ってはいけない」と厳しく命じているように、ロトと妻は、ソドムとゴモラに残してきたものに心を奪われ、後ろを振り向いたために、塩の柱になりました。後ろのものを捨てなければ、未来に向かって進むことができないというのです。「低地のどこにもとどまるな」とあります。この「低地」は、元来は「パン、楕円形」という意味で、「同じところをぐるぐる回る、何の感動も、喜びもなく惰性に流される」という意味になります。言い換えれば「何の感動も、喜びもなく、流される惰性を断ち切りなさい」となります。「山へ逃げなさい」の「山」は複数形で、山々で、象徴的な意味を持ち、一人一人が持っている課題を意味します。その課題に向かって生きよという意味です。フィリピ3章13節で「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、目標を目指してひたすら走る」とあります。「目標」はギリシャ語で「テロス」と言い「終り、成就、究極的な救い」を意味します。マラソン選手のように、ゴールを目指した脇目も振らず、ただひたすら走るように、究極的な救いを目指してただひたすらに生きることを求めています。
 12章2節に「わたしはあなたを大いなる国民にする。あなたの名を高める。祝福の源にする」とあります。神がアブラハムに神の約束、将来の究極的な希望を与えています。その約束の言葉を信じる時、始まりが起こると言うのです。アブラハムの家族は、妻サライの二人だけの家族です。それが大いなる国民となり、更に「わたしはあなたの名を高め、祝福の源にする」というのです。言い換えれば、神の約束、アブラハムの信仰です。神の言葉を信じる信仰です。神の言葉を信じる時、出立が起こるのです。
ペトロは、ガリラヤの漁師のとき、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にする」というイエスの言葉を聞きます。約束の言葉を信じたので、網を捨て、父を舟に残してイエスに従うことが出来ました。最も本質的なことは神の約束を信じることです。イエスの言葉を信じ、受け入れる。そこに新しい出立が起こると言うのです。
 マタイ福音書2章13-15節には、マリアとヨセフの「旅立ち」の物語があります。マリアとヨセフは、ヘロデ王が幼子イエスを殺害しようとしていることを知り、難を逃れてエジプトに旅に立ちました。生まれたばかりのイエスをエジプトまで連れて行くという危険な旅でした。マタイ福音書は「それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった」と言います。この「実現する」は「やり直す」という意味です。つまり、モーセの出エジプトのやり直しだと言うのです。イスラエルの人々は、モーセの出エジプトのとき、途中で、神に背き、疑い、つぶやいたために、多くの者が滅びました。彼らの旅は道に穴を開け、道を破りました。イエスの旅は、その穴を埋め、破れを繕うための旅だと言うのです。イエスの命がけの旅によって、穴が埋められ、破れが繕われた。一人も滅びないで、全ての人が救いを得ることができる。だから、委ねて、希望を与えられて出立することが出来るというのです。ヨセフとマリアが、イエスが与えられると、エジプトへ旅立ことが出来たように、主イエスを受け入れると、その人の人生に新しいこと、新しい出発が起こると言うのです。
 戦後、国連事務総長をされたダグ・ハマーショルドは、アフリカのコンゴ(現在ザイール)の内乱を調停するために向かった飛行機事故で殉職されました。彼の死後、日記が見つかり、「道しるべ」という著書で出版されています。その中に「過ぎ去った事柄には感謝thanks、来るべき事柄にはYes」と記されています。信仰によって、過去の身に起こったすべてのことに「thanks・ありがとう」と言う。同時に、「来るべき事柄にはYes・はいと受け入れていく」というのです。将来は、何が起こるか分からない、自分の思い通りにいかないことばかりかも知れない。それでも、信仰の力を頂いて、yesと受け入れられる信仰をもって出発する。フィリピの信徒への手紙1章6節に「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています」とあります。この神の約束の言葉を信じて、見上げて希望をもって、新しい年の出立をしたいと思います。