与えられたテキストは、ルカ福音書2章1-12節のクリスマス物語です。ルカは独自の資料を用い、イエスの誕生はローマ皇帝アウグストウスが住民登録の勅令を発した年であると言っています。しかし、ローマの歴史家ヨセフスやタキトウスによると、アウグストウスの住民登録勅令は紀元6年ですから一致しません。2節に「キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である」とありますが、キリニウスは住民登録をしていません。「キリニウス」ではなく、「キンティリウス」が、それも紀元前4年に行っています。ルカは史的には大雑把で不正確であると言われています。それは、ルカの関心がイエス誕生の年代にあるのではく、「イエス」と「ローマ皇帝アウグストウス」とを対比させて、神の真理、永遠の命はアウグストウスではなく、イエスにある事実を伝えようとしていることにあるからです。
「アウグストウス」ですが、歴史家ヨセフスによれば、本名は「オクタヴィアヌス」で紀元前43年、アントニウスをアクティムの海戦で破り、ローマの覇権を握ります。その後、元老院から皇帝に任命され、「アウグストウス(生きる神)」という称号を与えられました。ローマに繁栄と発展をもたらした名君の一人で、ローマの人々が平和と繁栄を謳歌できたのは、皇帝アウグストウスのお陰だと、褒め讃えられました。
聖書では、イエスを「キュリオス・主、The Lord」と言いますが、この「キュリオス」はアウグストウスに使われ、「福音・エウアンゲンリオン」は「アウグストゥスの誕生日」に使われました。民衆は「アウグトウスは神だから、死ぬことはない、永遠不滅だ」と言って、神のように崇め、讃えたと言われます。
イエスはどうでしょうか。ヨセフもマリアもガリラヤのナザレに住んでいました。イエスはナザレからかなり離れたベツレヘムで生まれました。ベツレヘムは預言者ミカが「ユダの氏族で最も小さい」と言われるように、ローマから見れば、遥か東方の片隅にある点のような町でした。マリアは絶対的な権力、生殺与奪権を握っている皇帝アウグストウスの住民登録の勅令のため、出産間近の身で、危険を冒してベツレヘムに旅をしなければなりませんでした。彼らがベツレヘムに着くと泊まる宿屋はありません。町外れの家畜小屋を借りて、そこで出産しました。生まれたイエスは、ぼろ布に包まれて飼葉桶に寝かせられていたました。訪ねてきたのは数人の貧しい羊飼いと占星術の学者だけでした。これほど惨めな誕生はありません。
歴史家ヨセフス(ユダヤ戦記、ユダヤ古代誌)はイエスの誕生や存在について一切記述していません。史的にはイエスの誕生と存在は誰にも気づかれない出来事でした。イエスは辺境と異邦人の町と言われたガリラヤのナザレで育ちました。イエスの働きはユダヤ人からは神を汚す者、ローマ人からは反逆者と言われ、遂に十字架で処刑されました。ルカ福音書は神の真理と永遠の命は飼い葉桶の中に、布に包まれて寝かされているイエスにあるか、神・キュリオスと讃えられたアウグストウスにあるかを実存的に問います。ペトロの手紙Ⅰ1章24節に「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠にかわることがない」とあります。生きる神と崇められたアウグストウスは草のように枯れ、花のように散り忘れられ、紀元14年に没し過去の人となりました。しかし、イエスは十字架上で殺されましたが、忘れられることも、過去の人にもならず、永遠に生き続けています。ヨハネ福音書12章24節に「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」とありますように、イエスの命は豊かな実を結びました。数え切れない人々がイエスを受け入れ、愛し、イエスのために惜しみなく自分の生涯を捧げてきました。悲しむ人々、病む人々が救われ、慰められてきました。苦難を負って人々、孤独な人々が生きる希望を与えらました。今も、これからもイエスを愛し喜んで従う人は後を絶ちません。
大塚野百合先生は「フラ・アンジェリコ」の「受胎告知」の解説をしています。マリアが「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む」のガブリエルの告知を聞き、「わたしは主のはしためです。お言葉通り、この身によって主が崇められますように」と答える場面です。アンジェリコの「受胎告知」には、一つのエピソードがあります。アンジェリコがフィレンツェの大司教に推薦されました。フィレンツェの大司教は身分的には高い職で、司祭なら誰もが願う職です。しかし、アンジェリコは断りました。「本当の人生は、天に宝を積めというイエスの言葉に生きることにある」と言って、キリストの名が崇めるための絵画を描き続けました。アンジェリコの「受胎告知」は信仰の実として生まれたそうです。「天に宝を積む」というイエスの道を選び、従って生きる。そこに真実、真理があると言うのです。ルカ福音書は、皇帝アウグストゥスがどんなに強力な権力を持っても、どんなに輝いて見えても「永遠の命」はない、対照的に、ぼろ布に包まれて飼い葉桶に寝かされているイエスに永遠の命、真理、真実があるというのです。
イエスが成人してからの出来事ですが、弟子たちがイエスから離れて行くという事件が起こります。イエスは「あなたがたも離れて行きたいのか」と弟子たちに尋ねました。シモン・ペトロは「主よ、わたしたちはだれのところに行きましょう。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています」と答えています。イエスこそキュリオス・主で、真理ですとキリストを受け入れ、聞き従い、委ねていく。その信仰を献げるのがクリスマスです。