与えられたテキストは「カナの婚礼」です。イエスとマリアはある婚礼の祝宴に出席していましたが、祝宴の途中でぶどう酒がなくなるという事件に巻き込まれました。祝宴の途中でぶどう酒がなくなることは大変な失態でした。マリアは裏方の台所を任せられていたのではないでしょうか。十分に準備していったはずなのに、「まさか」のことが起こり、途方に暮れました。そこにイエスがおられたので、「ぶどう酒がなくなりました。何とかしてください」と頼みますと、イエスは「わたしの時はまだきていません」と答えたといいます。この言葉にヨハネ福音書の信仰があります。コヘレトの言葉3章1節に「何事にも時があり、天の下の出来事には、すべて定められた時がある。生まれるに時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、・・・・」とありますように、イエスも「人生には時・カイロスがある」という事実を示されました。
イエスは「六つの清め用の水がめに、水を汲んで満たしなさい」と召し使いに命じました。召使いはイエスの言葉を理解できませんでしたが、黙って従い、六つの水がめを一杯にしました。すると、不思議なことですが、その水がブドウ酒に変わったというのです。11節に「イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた」とあります。この「しるし」は「セメイオン」と言い「象徴、表示、サイン」という意味です。「水」はギリシャ語で「ホドール」と言い、「虚しい、空虚」という意味で、「虚しい人生、無意味な人生、無駄な人生」を意味し、「良いぶどう酒」は「意味深い人生、生き甲斐のある人生、神の使命・ミッションの人生」を象徴します。クリスマス物語で、天使ガブリエルが「神にできないことは何一つない」とマリアに言われましたように、イエスは「空虚で、徒労の人生、無意味な人生」を「生き甲斐のある人生、神の使命・ミッションの人生」に変えることができる権威を持っておられる方であることが示されたというのです。
10節に「だれでも初めによいぶどう酒を出し、酔いがまわったころ劣ったものを出すものですが、あなたは良いブドウ酒を今まで取って置かれました」とあります。「今まで」は「最後まで、最後に」という意味です。意訳すると、「あなたは良いぶどう酒を最後まで取って置き、最後に、出されました」となります。イエスは輝く人生を最後まで取っておき、最期に与えてくださると言うのです。日野原重明先生は、「終わりが良ければ、すべて良し」というシュエクスピアの言葉を引用し、「人生の終わりが輝いていれば、どんなに苦渋に満ちた人生であっても、その人の生涯は輝く。逆に、終わりが虚しければ、その人の生涯は空しくなる。」と言います。イエスは、どのようなことがあっても、人生の終わりを輝かせると言われるのです。
7節に「イエスが、『水がめに水をいっぱい入れなさい』と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした」とあります。カナの町には一つの井戸しかありません。その井戸から、水を汲んで、壺に入れて運ぶのです。水がめは、4,5斗入ると言いますから、かなり大きな水がめです。六つの水がめと言いますから、召使いは何回も往復したはずです。「召使い」はギリシャ語で「ディアコノス」と言い、動詞はデイアコネオ-「仕える」で、「仕える人、僕、奴隷」という意味です。マルコ福音書10章44節の「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の贖いとして自分の命をささげるために来た」、フィリピの信徒への手紙2章6節の「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようと思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」に使われています。イエスは、わたしたちの最後の人生が輝くために仕える者、僕、贖いとなられたというのです。
ヨハネ福音書19章30節に、「イエスは、ぶどう酒を受けると、『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた」とあります。「成し遂げられた」はギリシャ語で「テロス」と言い、「目的に達した、神の使命・ミッションを果たした、輝いた」という意味です。イエスは十字架上で死なれましたが、最後は神のミッションを果たした勝利と栄光という信仰です。ちなみに、共観福音書のイエスは十字架の上で「エロイ、エロイ、ラバサバクタニ、わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んでいます。ヨハネ福音書はそのイエスの言葉はありません。「成し遂げられた。神の使命を果たした」が最期の言葉です。つまり、「イエスの最後は輝いた」と言います。同時に、最後を輝かしたイエスは、わたしたちの最後に、輝く人生を与えてくださると言いうのです。
ローマの信徒への手紙8章28節に「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちは、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」とあります。「益」は、ギリシャ語で「アガソス」と言い、「最善、輝く」という意味です。神は愛する者と共に働いて、万事が最善に、輝くようにしてくださるというのです。神は最後を輝かしてくださる。その約束を信じて、この年を締めくくり、希望を抱いて新しい年を迎えたいと思います。