2019年12月8日ルカ福音書1章26-45節「お言葉どおり、この身に成りますように」

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 アドベント第二週を迎えました。今日与えられたテキストはルカ福音書1章26-45節で、マリアの受胎告知の場面です。天使ガブリエルが、「マリア、恐れることはない。あなたは神の恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」と告げます。マリアは「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに」と困惑して、言い返します。すると天使ガブリエルは、「あなたの親族のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。神にできないことは何一つない」と告げました。この「神にはできないことは何一つない」は、原文では、「ア」という否定と、もう一つの「否定・not be impossible」があり、二重否定で、「必ずできる、必ず実現する」となります。この「できないこと」の「こと」は、原文では「言葉・ダーバール」で、「神の発せられた言葉、神の御旨、約束」という意味です。意訳すると、「人を救おうとする神の約束、御旨は必ず実現する」となります。聖書では7箇所で使われ、信仰の本質を表現しています。
「マリア」の語意ですが、「頑な、頑固、一徹」などの意味があり、画家デユ―ラーの「母親の自画像」とオバーラップします。とがった頬骨、鋭い眼、真一文字に結んでいる口、大きな鼻の女性です。神の言葉に激しく抵抗するマリアを連想します。しかし、マリアがどんなに頑なで頑固であっても、神の言葉と約束は必ず実現するというのです。
 創世記の18章のアブラハム物語に、天の使いがアブラハムのところを訪ねてきて、「あなたの妻サラに子どもが産まれる」と告げる場面があります。その時、テントの中で、その言葉を聞いていた90歳のサラは、思わず吹き出し、自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのにと呟きました。すると、天の使いは「なぜサラは笑ったのか。年をとった自分に子どもが生まれるはずがないと思ったのだろう。主に不可能なことがあろうか」と言います。神の約束と御旨は、サラがどんなに拒んでも、疑っても、必ず実現する。その事実を信じて、状況がどうであれ諦めないで、希望を見出して行くというのです。
 マリアは受胎を告げられた時、ヨセフと婚約していました。誰でもそうですが、婚約した二人は希望に燃えて、喜び一杯です。マリアも、新しい生活を夢見て胸を膨らませていました。そこに、天使が現れ「あなたは身ごもって男の子を産む」と告げました。ユダヤでは結婚前の受胎は、律法で厳しく禁止し、犯せば、石打の刑罰です。マリアは愕然としました。その時、天使ガブリエルが「神にできないことは何一つない、神の御旨は必ず実現する」と告げました。神の言葉はマリアを飛躍させ、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答えさせています。「はしため」は、ギリシャ語で「デューロス」と言い、「造られた者、従属する者、道具、器」を意味します。マリアは「わたしは主に従属する者、主に造られた者です。神は創造主であって、わたしは被造物、神の道具です」という信仰を告白しています。「お言葉」は神の言葉と御旨を意味します。言い換えれば、神の栄光が、この身によって現されますようにという信仰を表現しています。
マルコ福音書10章24節に「イエスは言った。『子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい』と。弟子たちはますます驚いて、『それでは、だれが救われるのだろうか』と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。『人間にはできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ』」とあります。人間にはできないことがあり、限界がある。しかし、神は無限の権能を持っているというのです。永遠のいのち、終末的な希望、究極的な赦しを与えることができるのは神以外にないと言うのです。
 ある学生は大学を2年留年して、ようやく卒業することができ、卒業式に出席しました。しかし、喜びの卒業式が、悲しみの卒業式になってしまいました。彼ら卒業式後、自宅に戻らないで、舞鶴の海岸に行って、海に身を投げてしまいました。卒業式の前日には教会に来て、「大変お世話になりました。お陰で、元気になりました」と挨拶し帰られました。死後、彼の机のひきだしの中から、教会宛の遺書が見つかりました。わたしは彼の傍にいながら、何もできない無力さに打ちのめされました。
ある精神科医は、「精神科医でも、自死を止めることはできない。死に至る病のために、自ら死を選んでいく人に全力で治療をするが、どうすることも出来ない現実がある。それができるのは神以外にいない」と言われました。人間は被造物、神の道具です。被造物ですから、永遠のいのちや罪の赦し、死を越える究極的な希望を与えることはできません。できるのはいつも寄り添ってくださる神だけです。神は死人を生かし、死を越える希望を与えることができます。マリアは、神が創造主であって、人間は被造物、造られた者であるという真理を遺してくれました。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」という信仰の真髄を遺してくださいました。はしためにすぎない者が神の栄光のために用いられることを祈りたいと思います。