2019年4月7日 ヨシュア15章1-12節 「神の御旨に導かれて」

 テキストはヨシュア記15章1-12節です。イスラエルの民が占領したカナンの地を12部族に分割する物語です。分割の順序ですが、イスラエルでの長子の特権や長幼の序に従えば、ルベン族が一番目、二番目はシメオン、三番目がレビで、ユダは四番目です。ところが、ユダ族が一番初めに分割に預かったというのです。それは、ユダ族が将軍カレブに代表されるように、ユダ族が12部族の中で最も信仰による勇気と大胆さを持っていましたからだというのです。民数記13章によれば、カナン偵察に行った12人のうち10人は「敵は強力で、攻めることは出来ない。駄目だ」と臆し退きましたが、ユダ族のカレブだけは「必ず征服できる。攻め込みましょう」と積極的に立ち上がりました。彼は85歳になっても、主が共にいるという信仰もって勇気と大胆さを失うことなく、新しい課題に向かうのでした。そのユダ族の信仰的勇気と大胆さが、一番最初の領地分割に与ることができた要因だというのです。神は臆することなく、勇気をもって自由に大胆に生きることを望んでおられるというのです。
宗教改革者のマルチン・ルターに「大胆に罪を犯せ」という言葉があります。勿論、文字通り罪を犯せと言うのではありません。罪の赦しを経験し、罪責から自由にされ、大胆に生きることを意味します。言い換えれば、「大胆に善を為せ」ということになります。ルカ福音書22章32節に「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」とあります。イエスは自分を裏切っていくペトロのために、罪赦されて、新しい世界で大胆に、勇敢に生きることを祈ったというのです。今神はイスラエルの民に臆することなく、自由に大胆に生きることを期待しているというのです。
 次に、領地を分割した方法について見てみます。その方法は「ユダの人々の部族が氏族ごとにくじで割り当てられた領土は、・・・・」とありますように、「くじ引き」です。なぜ大事なことをくじ引きで決めたのでしょうか?箴言16章33節に「人はくじを引くが、しかし、事を定めるのは主である」という言葉があります。聖書では「くじ引き」を信仰的な事柄と理解し、くじ引きで決まったことには、神の御旨があると信じて、全てをゆだねるというのです。人間的な思い煩いと損得を捨て、一切を神の導きにゆだねる。それがくじ引きで決める意味です。
熱心な信仰者であった政治家の河上民雄さんは、大学の教授から政治家に転身する時、悩み、迷ったそうです。その時、河上さんは政治家というくじを引きました。「人はくじを引くが、しかし、事を定めるのは主である」にいう箴言の言葉のことばのように、くじを引いたからには、後は主にゆだねる信仰に立たち、人間的にあれこれを考えることを止めて、主が導かれるままに歩もうという決心したというのです。河上さんは政治家になることを望まなかったそうです。大学で研究をし、学生に教えることがなによりも楽しかった。しかし、望まなかった政治家のくじを引きました。くじを引いた限りは、政治家になることが神の御旨であると受け入れ、神に全てをゆだね、従う決心をされたというのです。
 さて、ユダ族は最初にくじを引くという特権に与ったのですが、しかし、彼らに与えられた領地はカナンの南側の山岳地帯でした。ベニヤミンやエフライムに与えられた領地の北側はよく肥えた緑地が多く、農耕も盛んでした。しかし、ユダに与えられた南側は山岳地帯で、岩や砂地が多く、農耕にも住むのにも適さない荒地でした。ユダ族の人々は、「折角最初にくじを引くという特権に与ったのに、こんなひどい土地に当たってしまった。何と不運なことだ」と嘆き悲しみました。しかし、不思議なことですが、そこに神の御旨があったのです。ユダ族がこの不毛の地、悪条件の地を与えられたことは、結果的には、救いとなりました。条件の悪さ、生活の不便さが、偶像崇拝に陥らず、宗教的な本質を失わないで済むことになりました。北部の肥えた地は、立地条件は良く、一見恵まれているように見えました。しかし、エフライム族は偶像崇拝であるバアル宗教に捕えられ、滅亡の道を辿りました。豊かな北側の人々が偶像礼拝に陥らず、ヤーウエの神を信じ抜くことは大変難しいことでした。ところが南側を与えられたユダ族は、環境の悪さ、困難さ故に、神から離れることなく、常に純粋な信仰を保つことができ、強く逞しい民族へと育っていきました。
 神は時として、わたしたちが望まない状況を与えます。しかし、疑ったり、失望落胆しないで、神の御旨と計画があることを信じて受け入れていきたいものです。詩編37編23節「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」とあります。どのような状況に置かれても、主が与えてくださった場所であることを信じ受け入れ、従っていきたいものです。詩編55編23節に「あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえにどうようしないように計らってくださる」とあります。ローマの信徒への手紙8章37節には「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしたちは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」とあります。神は、わたしたちがどのような状況に置かれても、輝かしい勝利に導き、勝利を与えてくれます。その神の真実と愛を信じ従っていきたいと思います。