2019年6月2日 ヨシュア記16章1-10節 コリントⅠ1章26-28節 「神の恵みと選び」

 ヨシュア記はイスラエルの民がヨルダン川を渡り、神の約束の地・カナンを征服し、分配していく物語を記しています。一番最初に分配を受けたのはユダ族でした。なぜユダ族が最初に分配に与ることができたのか。それは彼らが最も勇敢であったからです。1章9節に「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」とあります。神は恐れることなく、勇敢な者を祝し用いられる。ユダ族はカレブのように勇敢であったがゆえに、一番に分配を受けたというのです。今日のテキストは、エフライムとマナセ族への分配物語です。エフライムとマナセにはベテルやシロなど広大な土地が与えられました。しかし、エフライムとマサセ族は勇敢ではなかったし、立派な働きもしていません。それなのに、二番目に、そして、広大な土地が分配されました。なぜ分配されたのか?それは彼らの先祖ヨセフに関係があると思います。    
 ヨセフはヤコブ(イスラエル)の12人兄弟の11番目の子でした。ヤコブから特別愛されたために、他の兄弟たちから恨まれ、半殺しにされ、洞穴に投げ込まれ、命だけは助けられ、エジプト人のポテパルに奴隷として売られました。ポテパルの妻に裏切られ、牢に投げ込まれ、苦難に遭わせられました。しかし、ヨセフは苦難と絶望の中に置かれても、常に神を賛美し、神を信頼し、徹底的に従いました。エジプトの王の信頼を受け、大臣に任命させました。カナンの兄弟たちが、飢饉のため食糧を求めてエジプトへ下ってきました。そこでヨセフは自分を奴隷に売った兄弟と再会しましたが、苦難に遭わせた兄弟たちを恨むことなく、赦しました。
創世記45章4節に「わたしはあなたたちがエジプトに売った弟ヨセフです。しかし、今は、わたしをここに売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・・、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です」とあります。ヨセフは神の信仰に生き、不条理や苦難に出遭っても不信仰に陥ったりすることはありませんでした。神を信頼し、徹底的に真実であり続けました。そのヨセフの高尚な生涯がエフライムとマナセ族に豊な祝福と繁栄をもたらし、広大な土地の分配に与ることができたのは、彼らの働きと功績ではなく、祖先のヨセフの神を信じる信仰によるというのです。
 このヨセフはイエスと重なります。イエスは逆らい裏切る者のために十字架にかかり、十字架の苦難と死を通し、罪を赦し、贖ってくださいました。わたしたちはエフライムやマナセのように功績や働きを持っていません。そのような無価値な者のために、イエス・キリストは苦難を負い死んでくださり、命を賭け愛してくださったというのです。
 エフライムとマナセ族に与えられた土地は、パレスチナの中央部に当たり、北はガリラヤ湖から、南は死海に至り、東はヨルダン川から西は地中海に及びました。その面積は広大で、カナンの内で最高の土地を与えられ、どの部族に勝って大きな祝福に与りました。しかし、それは、彼らの働きと功績のゆえではありません。先祖のヨセフの神への信仰と恵みの結果として、所与として与えられたのです。それはまた、わたしたちに共通する事柄です。無力、無価値なわたしたちは、ヨセフの子孫のエフライムとマナセように、神の一方的な恵みと祝福に与っているのです。
 大塚久雄先生は「意味喪失の時代に生きる」という著書の中で聖書との出会いを語っています。先生は高校生時代、聖書に心引かれ読むようにありました。そして先生の心を捉えたのは、出エジプト20章2節の「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」という言葉です。つまり、イスラエルの民はエジプトの奴隷でした。そして、余りにも厳しい労役のために悲鳴をあげました。神がその叫びを聞き、モーセを立て、救い出したのです。神は驚いたことに奴隷のイスラエルを選ばれ、導き出されたのです。その優しい神に先生は心引かれたと言われるのです。
 申命記7章7節に「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導きだした」とあります。イスラエルに誇るところは微塵もありませんでした。一方的な神の思いです。神がいなければ、イスラエルは存在しないというのです。わたしたちも何の取柄もない者、弱く、罪深い者です。しかし、神は罪深い者を敢えて、一方的な恵みによって選ばれ、赦され受け入れてくださるのです。
コリントの信徒への手紙Ⅰ1章26節に「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や家柄のよい者が多かったわけではありません。ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれた。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。」とあります。神は愛と救いを明かにするために、敢えて一方的に、神の恵みによって、この無力な者、無価値な者を選び、受け入れてくださったのです。その一方的な神の愛と恵みに応えて行きたいと思います