ヴィクトール・フランクルは「忍耐は人間の特権であり、忍耐することにより人間が成長する。信仰は忍耐である」と述べています。コリントの信徒への手紙Ⅰ13章4節に「愛は忍耐強い。・・・・すべてを忍び。すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」とあります。忍耐は信仰の道を歩むためには欠くことができないことであるといいます。16節には「あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」とあります。最後まで耐え忍ぶ者は勝利を得、救われるというのです。
今日のテキストの文脈を見ると、イエスは十字架に付けられるために、ロバに乗ってエルサレムに入城し、神殿が本来の活動から逸脱し、金儲けの場所になっているのを見て、神殿崩壊予告をしました。するとユダヤ人は「先生、では、そのことはいつ起こるのです。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか」と尋ねます。彼らは神殿の崩壊の予告をこの世の終末と受け取ったのです。彼らは全て希望を見出せず、諦め、虚無に陥り絶望していました。彼らの人生観や世界観に影響を与えたのは、ギリシャ哲学のストア派のセネカではないかと思います。セネカはネロ皇帝の家庭教師であり、執務官でありましたが、世の不条理を嘆き、絶望し自死します。セネカの死の後、ネロ皇帝も自殺します。世の不条理に苦しみ、生きる意味や希望を失い、厭世的になりました。ちなみに、この時代に起こった事件ですが、61年にはフルギアに大地震が起こり、79年にはヴェスヴィオス火山の噴火でポンペイが壊滅し、飢饉が起こり、ペストが蔓延し、多くの死者がでました。それだけではありません。ローマ皇帝の悪政、アグリッパ王や祭司長たちの堕落、民衆のテロや暴動など、世の中は末期的症状を呈しました。70年にはローマ戦争でエルサレムが滅び、神殿も崩壊されました。ユダヤ人はマサダの要塞にとじこもり、玉砕しました。世は暗闇の時代でした。人の心は退廃的になり、虚無感に蝕(むしば)まれ、矛盾と不条理に満ちた社会や人生に絶望しました。人々は世の終末を希求しました。終末が直ぐに来て、世の中に決着をつけて欲しいと言うのです。しかし、イエスは白黒の決着をつけないで、割り切らないで、耐え忍ぶようにと、最後まで耐え忍ぶ者は救われると言っています。
11節には「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だけら、前もって弁明の準備をすまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである」とあります。「前もって準備する」とは、「心配する、思い煩う」という意味です。どのように弁明しようか、どう答えたら良いのかと思い煩い、良い結果をださなければならないとたじろぎ、怯えるなというのです。イザヤ書41章10節「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神、たじろぐな、わたしはあなたの神」とあります。思い煩いと心配は要らない。なぜなら、イエスが共にいて、言葉と知恵を授けてくださる。イエスの言葉を信じて、希望を見出していきなさいというのです。
或る先生は「信仰は社会の矛盾と不条理を包み込んで生きていくことを教えている。他者に対しても自分に対しても、自分の思い通りにならないものを、自分に不都合のものを抱えて生きていくのが人間であるということを教える」と述べています。勿論、世の矛盾を見て見ぬ振りをし、見過ごしなさいと言うのではありません。自分の力ではどうすることもできないことがあります。しかし、絶望しないで、その矛盾を包み込んで生きていくというのです。詩編55編23節に「あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる」とあります。主どのような状況に置かれても主は支えてくださいます。その主を信じ、主にゆだねていくというのです。
17節には、「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」とあります。神はあなたを守るというのです。神は、独り子であるイエスは十字架につけ、大きな犠牲を払って、わたしたちを守ってくださっています。復活に示された力をもって、永遠の命を与えてくれます。それは人間の力や資格に関係のない神の事柄、終末論的希望、永遠の救いです。その究極的な希望があるから耐え忍ぶことができるというのです。「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」とあります。
細川宏さんに「しなう心」という詩があります。「苦痛のはげしい時にこそ、しなやかな心を失うまい。やわらかにしなう心である。ふりつむ雪の重さを静かに受けとり、軟らかく身を撓(たわ)めつつ、春を待つ竹のしなやかさを思い浮かべて、じっと苦しみに耐えてみよう」。竹の葉に積もった雪は春が来るととけます。その雪解けの春を待つ。それは小さな希望ですが、苦しみに耐え忍ぶ力を生みます。イエス・キリストは春を造り、支配する方です。十字架と復活によって、より確かな、普遍的な希望を備えてくださいました。イエスの希望を見上げて、耐え忍んでいきましょう。苦しみに耐え忍べば、新しい命と救いが授けられます。その御言葉を信じて、前を向いて歩んで行きたいと思います。