2019年8月25日フィリピの信徒への手紙1章12-14節「福音の前進に役立つ」

 与えられたテキストはフィリピ1章12-14節です。パウロがローマの監獄に捕らえられたことを聞き、フィリピ教会の人々が大変心配している。それに答えているパウロの言葉です。12節に「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立つようになったと知ってほしい」とあります。原文では、「知ってほしい」が冒頭にあり、強調されています。意訳すると「是非知ってほしい、兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音に役立ったことを。」となります「わたしの身に起こったこと」の「こと」は複数形で、具体的には使徒言行録21章以下に記されている様々な出来事を意味しています。パウロは異邦人伝道を神からのミッションと受け取り、異邦人伝道を始めました。しかし、異邦人伝道を認めないユダヤ人から迫害を受け、どこの町に行っても暴動が起きました。使徒言行録20章22節「わたしは、霊に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難がわたしを待っているのは聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」とありますように、パウロは証言するためにエルサレムに上ることを決意しました。エルサレムに入ると、暴動が起こり、暗殺されそうになりましたが、辛うじて、ローマの軍によって救い出され、2年間カイザリアの牢獄に繋がれました。その間、ローマの総督フェリクスやユダヤの王アグリッパの厳しい取調べを受けました。パウロはローマの市民権を持っていましたので、その時の総督フェストゥスに上訴し、認められ、ローマに船で護送されました。その途中の地中海で、エウラキオンという台風に襲われ、乗船していた船が遭難し、マルタ島に打上げられて、九死に一生を得、辛うじて、ローマに到着することができました。それから、監禁生活が始まりました。最初は、軟禁状態でしたが、後に、ローマ皇帝の迫害が始まり、厳しい牢獄生活を送りました。60歳後半と思われるパウロにとって獄中生活は、死に直面させられるような厳しい試練と苦難でした。
 ところが、パウロは意外にも、「わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立った」と言われるのです。この「かえって」は、ギリシャ語で「マロン」という副詞で、「予期に反して、反対に、逆に、意外に」などを意味し、パウロの信仰を表現する重要な言葉です。この時、誰もが、パウロの逮捕と投獄は、教会にとって大きな痛手となり、教会の力は衰退する、将来は見通せないと悲観的、消極的になっていました。しかし、パウロは違います。獄中に閉じ込められ、自由を奪われ、福音を語ることができない。それらが、「かえって、逆に福音の前進に役立つ」というのです。ここに、パウロの信仰理解、つまり、信仰の逆説が表現さています。
13節に「わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡った」とあります。言い換えると、ローマの兵士たちは、パウロが逮捕され、獄につながれているのは、何か、罪を犯したに違いないと思っていました。しかし、パウロの話を聞き、パウロをよく知ると、犯罪のためではなく、キリストの福音を伝えたために捕らえられている事実を知るのでした。パウロはキリストに人生の全てを捧げ、キリストのために生きている。ローマの兵士たちはパウロの信仰に心を動かされ、同時に、パウロを活き活きと生かすキリストに関心を持ち、心を開くようになったというのです。
 彼らはローマ皇帝の近衛兵ですから、皇帝のためにという信仰、殉じる気持ちがありました。しかし、彼らの信仰と殉教は、皇帝からの命令です。教育され、強制された結果です。言い換えれば、兵士たちの主体性から生まれた信仰ではありませんでした。しかし、パウロは伝える信仰は違います。律法や強制ではない、主体性、自由と責任からキリストに命を捧げています。このパウロの信仰と生き方はローマの兵士たちの心を捉えました。同時に、そのようにパウロを生かす「キリスト」に強い関心を呼び起こし、キリストに感動し、受け入れる者が現れました。もし、パウロが逮捕され投獄がなければ、福音が伝わることはなかったのです。その意味で、苦難と試練が福音の前進に役立ったというのです。
 14節に「主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのも見て確信を得て、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです」とあります。フィリピ教会の人々にとってパウロのローマの国家権力による逮捕と入獄は大変なショックでした。同時に、彼ら自身に迫害が加えられるという恐怖と不安に襲われていました。しかし、パウロと親しく交わると、牢獄に閉じ込められ迫害を受けているのに、喜びと希望に満ちているキリストの福音に驚かされ、獄中に捕らえられ、不自由な生活を送っているパウロから希望と勇気を与えられるのでした。彼らはローマの官憲を恐れることなく、ますます勇敢に、福音を語る者になったというのです。
ボッンヘファーは「一人の信仰者から出る小さな言葉、小さな行い。それらによって、人は力づけられる」と言っています。小さな一人の信仰者の生き様が、教会を慰め、励まし、勇気づけられ、恐れが取り除かれ、勇敢に御言葉を語る者に造りかえられるというのです。どのような小さな試練と苦難でも、福音の前進に役立つ。そのことを信じて、前進していきたいと思います。