2019年9月22日 フィリピの信徒への手紙1章27-30節 「苦難と恵み」

 与えられたテキストはフィリピの信徒への手紙1章27-30節です。パウロは、20節で、「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望している」と述べていました。今日の御言葉は、27節に「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、・・・」とありますように、パウロがフィリピの教会の人々に願い期待していることを述べています。「ひたすら」は「ただ一つ、ひたむき、一途に」という意味です。「ふさわしい」は、エフェソの信徒への手紙5章10節に「光の子らしく歩きなさい」とありますように、「らしく」という意味です。コロサイの信徒への手紙1章10節では「主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせなさい」の「かなった」に用いられています。「生活をおくりなさい」は「生き方を示す、生き様を表わす」と言う意味です。意訳すると「ひたすら、一途に、わき目を振らず、キリストの福音にかなった生き様を示しなさい」となります。パウロは、キリストの救いはその人の働きや功績に関係なく、罪深い人間に対する神の一方的な恵み、無償の賜物と考えています。そのキリストの恩寵、恩恵を受けた者にふさわしく、誰が見ても分かるような生き様を示して欲しいというのです。
パ ウロは更に続けて、27節で「一つの霊によってしっかり立つ」、28節で「どんなことがあってもたじろがない」、29節で「苦しみを恵みとして受容する」と、三つの事柄を述べています。「一つの霊によってしっかり立つ」の「しっかり」は「動かない、固く」で、「立つ」は、受動態で「立てされる」という意味です。「一つの霊によって」の「霊」はギリシャ語で「プニューマ」と言い、「神の息、神の力」を意味します。意訳すると「自分の努力や頑張りによって、立つのではなく、神の霊によってしっかり立たされる」となります。
南ユダ王国のアハズ王は、北イスラエル王ペカとシリア王レヂンが、反アッシリア同盟に加わるように、エルサレムに攻め込んできましたことを知ると、恐れ慌てふためきました。その時、神は預言者イザヤに、アハズ王に会い、「落ち着いて、静にしていなさい。恐れることはない。神を信頼しなさい。信じなければ、固く立つことはできないと告げなさい」と命じました。アッシリア帝国や大国エジプトの力に頼まず、神を信じ信頼することによって、固く立たされる。ヤーウェの神だけを信頼し毅然として生きるようにというのです。パウロも迫害の中にあるフィリピの教会の人々に、神の霊と力によって、固く立たされ、毅然として生きることを期待しているというのです。
 27節に「あなたがたは心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはない」とあります。この「たじろぐ」は、原語は「馬がおびえて飛び跳ねる」ことを意味し、「おびえる、恐れる、ろうばいする」などの意味です。パウロがフィリピに伝道に入った時、反対者の暴動が起き、パウロは捕らえられ獄に入れられました。フィリピはローマ帝国の典型的な植民地でしたので、キリスト教の信仰をもつことで、不利益な扱いや差別や迫害を受けました。パウロは彼らの信仰生活の困難さを十分に知っていました。それだけに、どんなことがあってもおびえるな、くじけるなと励ましています。
 イザヤ書41章10節に「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神、たじろぐな、わたしはあなたの神、勢いを与えてあなたを助け、わたしの救いの右の手であなたを支える」とあります。パウロはフィリピの信徒への手紙4章12節で「いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています」と言っています。神への信頼を深めることが、何事にも心を騒がせないでいられる秘訣であるというのです。浅い川の流れは音を立てます。しかし、深い川の流れは音を立てず、静かに流れます。信仰も同様です。深くなれば、なるほど、静けさと落ち着きとが与えられます。
 更に29節に「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」とあります。キリストの福音にふさわしく生きるということは、苦しみを神の恵みとして受け入れて生きることであるというのです。口語訳は「あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけでなく、彼のために苦しむことをも賜っている」と訳されています。苦しみはだれで出遭いたくないし、負いたくない、厭うものです。ところが、パウロは苦しみを神からの恵み、賜物であるというのです。
ローマの信徒への手紙5章2節に「このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとしています」とあります。この「誇り」は「心からの喜び」という意味です。驚いたことに、パウロは苦難を心から喜んでいるというのです。なぜなら、「苦難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出す、練達は希望を生み出す」からであると言うのです。この「練達」は「豊かな人格」と言う意味で、苦難は豊かな人格、成熟した人格を生み出し、より豊かな人間に成長させるというのです。パウロは獄中に捕らえられ、苦難に直面させられています。自分の苦難の経験から、彼らの苦難は、キリストにより頼む信仰を養うための試練であり、あなたがたの苦難は、あなたがたをキリストと強く結びつけようとされる神の恵みであるというのです。フィリピの信徒への手紙3章13節に「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」とあります。パウロは、フィリピの教会の人々が、厳しい苦難に出遭っているのを知っています。彼らが苦難を積極的に受け入れ、終末論的勝利を信じてひたすら前に向かって歩むことを期待しているのです。