2019年9月8日 フィリピの信徒への手紙1章12-18節 「寛容な神」

 与えられたテキストはフィリピの信徒への手紙の1章12-18節です。パウロは不条理な逮捕と入獄が躓きにならないで、かえって福音の前進に役立ったというのです。多くの人々が獄中のパウロの生き様を見て、信仰的確信が与えられ、ますます勇敢に御言葉を語るようになりました。創世記のヨセフ物語の「神は悪を善に変えてくださる方」という言葉やローマの信徒への手紙8章の「神は神を愛する者と共に働いて万事を益としてくださる」という言葉のように、逮捕と入獄は神の恵みの一つであるというのです。
 14節に「主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、ますます勇敢に、御言葉を語るようになった」とあります。この「兄弟たちの中で多くの者」は「すべてではない」という意味が込められています。意訳すると、「兄弟たちの中の多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を伝えるようになりました。しかし、それは多くの者であって、すべての兄弟ではありません」となります。つまり、兄弟の中にはパウロと異なる考えを持ち、パウロを批判し、パウロに反対する者がいたというのです。具体的には、異邦人は割礼を受けなければなないと主張する、熱狂的な律法主義者です。彼らはパウロの入獄中に、自分たちの勢力を拡大し、パウロを教会から追い出そうとしました。しかし、驚いたことに、パウロは自分の考えとは異なる立場の人々を切り捨て、排除することはありませんでした。
15節以下に「キリストを宣べ伝えるために、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。一方は、わたしが福音を弁明するために捕らえられているのを知って、愛の動機からそうするのですが、他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。だが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」とあります。「口実」は「見栄、偽善、偽り」という意味です。「わたしはそれを喜んでいます」の「喜ぶ」は「敬意を表わす、肯定する、是認する」という意味です。パウロの反対者は、パウロが獄中にいる間に、勢力を拡大し、パウロの使徒職を剥奪し、教会から追い出そうとした不純な動機で伝道していました。それは赦されることではありません。しかし、パウロは、口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストを告げ知らせているのですから喜んでいる、これからも喜びますというのです。パウロを苦しみに陥れる不純な動機で、伝道する彼らを是認し、敬意を払うというのです。より本質的なことはキリストを告げていることであり、本質を失っていない限り、自分の考えと違っても、是認するというのです。
 18節の「だが、それが何であろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。これからも喜びます」は、パウロの信仰、寛大な精神、自由、寛容を表しています。内村鑑三は「信仰は、愛ではなく、寛容である。」と言います。パウロはファリサイ派時代、自分の信仰や考えの違う人を許さず、厳しく批判し迫害しました。しかし、キリストを信じるようになってからは、違います。批判する人の声をよく聞き、それを包み込む包容力を持ちました。滋賀県の能登に「止揚学園」という重い障碍を負った方々の施設があります。「止揚」は哲学用語・アウフヘーベンから取った言葉で、「対立・矛盾の過程から新しいものが生じ、生まれてくる」という意味です。「止揚学園」は、障碍を持つ者と健常者という二つの異なる者が出会い、葛藤の中から、新しい統合、共生が生まれるという期待を込めた名前です。障碍者がいなければ自分が存在しない。アンチ・テーゼがなければ、テーゼ自体存在しないというのです。パウロは止揚と言う言葉は使いませんが、そういう考えです。自分の考えや信仰と異なる存在がなければ、自分は存在しないというのです。パウロにとって敵対者は重要な意味を持っていました。パウロをして、自己吟味させ、寛大、寛容にさせたのです。どんなに自分が正しいと思っても、自分を絶対化させないで、違いを認め、異なる意見に耳を傾けました。それらは、逮捕と獄中の苦しい経験から与えられた神の恵みです。パウロの寛容な精神、自由、謙虚はキリストの力、福音の言葉を信じ、信頼して、委ねることから生まれました。パウロは自分の考えと立場に固執しないで、自己を相対化し、自分を批判する人々を恨むことなく、それら全てを神に委ねることができました。
 ヨハネの手紙Ⅰ3章19、20節に「わたしたちは自分が真理(キリスト)に属していることを知り、神の御前で安心できます。心に責められることがあろうとも。神は、わたしたちの心よりも遥かに大きく、すべてをご存知だからです」とあります。神は、わたしたちの弱さ、貧しさ、それら全てを知っていてくださっています。そして、それらすべてを許し、認め、さらに大きく用いてくださいます。フィリピの信徒への手紙4章4節に「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、みんなの人に示しなさい。主は近い」(口語訳)とあります。神は人間の心よりも遥かに広く、大きく、高い心をお持ちです。その神の寛容、寛大、自由を信じ、信頼し、すべてを委ねいきたいと思います。