与えられているテキストはマタイ福音書8章1-13節の「らい病を患っている人と百人隊長の僕のいやす」とイザヤ書7章3-9節です。マタイ福音書8章10節に「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」とありますように、主題は「癒しの物語」ではなく「信仰物語」です。
2節に「すると、一人らい病を患っている人がイエスに近寄り、ひれ伏して」と、5節に「一人の百人隊長が近づいて来て懇願し」とあります。3節の「近寄り」と5節の「近づいて来て」は「前に進む」と言う意味です。言い換えれば、「決意と勇気をもって前に一歩踏み出し」となります。つまり、らい病を患っている人のイエスの前に進み出る勇気と力とが信仰であるというのです。
1節に「イエスが山を下りられると、大勢の群衆が従った。すると、…」とあります。この「すると」は、本来は「見よ」という意味です。らい病人が群衆の中に紛れ込んでいる驚きを表現しています。律法では、らい病を患っている人は「穢れています」と自ら声を上げ、人に近づいてはならないと定められていました。らい病人のイエスに向かって前進する勇気と希望が信仰だというのです。
3節に「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち、らい病は清くなった」とあります。この「触れ」は、特に「汚れたものに触れる」という意味です。イエスは「らい病を患っている人に触れてはいけない」と定められていた律法を犯し、十字架に付けられるまでして、らい病人を清めようとされているのです。
マルコ福音書1章40節に「さて、らい病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、『御心ならば、わたしを清くすることがおできになります』と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『清くなれ』と言われると、たちまちらい病は去り、その人は清くなった」とあります。この「深く憐れむ」は、ギリシャ語で「ススプランクナゼニサイ」と言い、語源の「スプランクナ」は「はらわた、腸」という意味で、「はらわたを痛める、腹の底から湧き上がる同情、熱情」を意味します。イエスはお腹を痛め、篤い情熱、自分の命をかけてらい病人を守られたというのです。らい病人は、熱情のイエスが寄り添ってくれるので、前進することができる。その信頼と前進が信仰であるというのです。
マルコ福音書10章42節に「異邦人の間では、支配者とみなされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない」とあります。百卒長はローマの皇帝から派遣された兵士百人を指揮する士官で、この世的権力を持っていました。そのローマの百卒長が「あなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言お言葉をください」と言っています。イエスは「イスラエルの中でさえ、これほどの信仰を見たことがない」と、百卒長の信仰を讃えます。この百卒長の謙遜が信仰です。「謙遜」はギリシャ語で「タペイノ・プロスネ」と言い、「低くする、下げる」と「心」の二つの言葉から成っていて、「心を徹底的に低く下げる」とことを意味します。言い換えれば、今まで頼りにしてきたものから手を離し、全てを主に委ねる。つまり、イエスに全てを委ねる信頼が信仰であるというのです。
イザヤ書7章9節に、「主なる神はこう言われる。信じなければ、あなた方は確かにされない」とあります。アッシリアが北から南方諸国に侵略を始めました。それに対抗し、アラムとエフライムは同盟を結び、南ユダ王国にも加わることを求めて来ました。南ユダの王アハズは預言者イザヤの進言があって、同盟に加わりませんでした。アラムとエフライムの同盟軍は「南ユダを滅ぼし、アラムの王を即位させる」と脅し迫ってきました。アハズ王は慌てて、アッシリアに援軍を求めました。その時、イザヤは「落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない、信じなければ、あなたがたは確かにされない」です神の言葉を告げました。この「確かにされる」は、「堅く確かに立つ、固く支えられる」と言う意味です。別の言葉で表現すれば、「平静心、毅然」です。窮地に立つときの平静心と毅然さとを生み出すものが信仰だと言うのです。
ある方がすい臓に癌が見つかり、亡くなられました。彼女は、癌が見つかったとき、「ガンがわたしのところに良くきてくれた」と、強がりでも、諦めでもない、信仰の賜物で素直に言われたそうです。彼女は終末論的希望をもって生涯を閉じました。その生涯は死を乗り越えた信仰の証しの生涯だったそうです。
イザヤ書30章15節に「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。『お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と」あります。「信頼して」は「信じる・アメン」です。信じることにこそ力があると言います。ローマの信徒への手紙8章37節に「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」とあります。この約束の言葉を信じて、神の力を頂いて全てを委ねて歩みたいと思います。