2020年11月29日イザヤ書40章27-31節 「主を待望しつつ」

 待降節・アドベントを迎え、救い主の到来を待望しつつ送りたいと思います。与えられたテキストはイザヤ40章27-31節です。イザヤ40章は第Ⅱイザヤと言われる捕囚の一人、無名の預言者の言葉です。イスラエルはBC587年バビロニア帝国との戦争に敗れ、多くの人々はバビロンに捕らえ移されました。所謂、バビロン捕囚です。536年解放されるまで50年間捕囚生活を送り、イスラエルの歴史の中で最も苦難の時代を経験しました。
27節に「ヤコブよ、なぜ言うのか、イスラエルよ、なぜ断言するのか、わたしの道は主に隠されている、と。わたしの裁きは神に忘れられた、と。」とあります。この「道」は「明日、これから進むべき道、未来」を意味します。「隠されている」は「見えなくなる、確かに在るのに見出すことができない絶望、思い煩い」を意味します。ビクター・フランクルがアウシュビッツの収容所の経験を「明日、未来はないという嘆きと呟き」と言いましたように、明日、未来を信じられなくなった捕囚の人々の絶望と嘆きが告白されています。
「わたしの裁きは神に忘れられた」の「裁き」は、創世記1章31節に「神はお造りなったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった」とありますように、神の肯定、絶対的肯定を意味します。「忘れられた」は、詩編27章10節に「父母はわたしを見捨てようとも、主は必ず、わたしを引き寄せてくださいます」とありますように「見捨てる」という意味です。神はあなたが何処に行こうと、何処に置かれようと共にいると約束された神の絶対的肯定を疑い、喪失したことを意味します。
28節に「あなたは知らないのか、聞いたことはないのか。主は、とこしえにいます神、地の果てに及ぶすべてのものの造り主。倦むことなく、疲れることなく、その英知は究めがたい。疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。」とあります。捕囚の人々にとっては、まさに、起死回生の福音でした。彼らは、この言葉を聴くまで、神は倦み、疲れている、神が見えない、神に忘れられていると嘆いていました。しかし、神の言葉を託された預言者イザヤは断じてそのようなことはない。神は天地の造り主であり、その創造の力は、いまも生きて働いていると力強く語りました。
29節に「疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士も躓き倒れようが、主に望をおく人は新たな力を得、・・・」とあります。この「若者」は捕囚の地で生まれた人たちのことを意味します。若者は本来エネルギーに満ちています。その若者が、倦み、疲れるというのです。この「倦み」は、「生きているのが辛い、生きていても仕方がないという疲弊と絶望」を意味します。その虚無感と倦怠感が「わたしの道は主に隠されている、わたしの裁きは神に忘れられた」という嘆き、呟きとなっています。イザヤはバビロン捕囚の虚無と絶望の中で神に召され、神の言葉を託され、語り伝えることを命じられ、力強く語りました。
30、31節に「若者も倦み、疲れ,勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」とあります。大空を舞う鷲は見る者に感動を与えます。子どもの時、失望落胆している時、大空を悠々と飛んでいる鷲の姿を見て、元気付けられたことを思い起こします。鷲はイスラエルの人々にとって自由と力強さの象徴でした。天上を悠々と飛んでいる鷲の姿は、四方八方を塞がれても、明日と未来を、自由と希望と力を与えてくれます。預言者イザヤは鷲が飛び交う姿を生き生きと思い描き、捕囚で絶望する民に、明日と未来は必ずあると預言しました。
フォークグループの紙ふうせんの赤い鳥に「翼をください」を歌があります。阪神淡路大震災の犠牲者や被害者を慰め、励まし、力づけ、鎮魂歌として歌い継がれていました。「今わたしの願い事が叶うならば、翼がほしい。この大空に翼を広げ、飛んで行きたいよ。悲しみのない自由の空へ翼はためかせ、行きたい」という詩です。作詞者は足の不自由な少年だそうです。不条理は少年を苦しめ、希望の見えない中で、目を開き、未来と希望を見出したいと歌っています。
「主に望をおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない」。鷲は冬季に古い羽が落ち、早春に新しい羽に生え変わる。新しい翼を広げて天空高く舞い上がると言われます。コリントの信徒への手紙Ⅱ5章17節に「キリストに結ばれている人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」とあります。主に結ばれている者は新しい翼を与えられて、翼を広げて大空に上っていく時(カイロス)が来るというのです。
預言者イザヤは未来を失い絶望している捕囚の民に、あなたの未来はある、希望があると語りかけています。ローマの信徒への手紙5章3節に「そればかりでなく、苦難をも誇りにしています。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むというということを。希望はわたしたち欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」とあります。主イエスは明日が、未来があることを伝えるために、誕生し、死から甦ってくださいました。アドベントのこの時、主を待望し、主を仰ぎ、主を見上げて歩んでいきましょう。