預言者イザヤが活動した時代はバビロン捕囚の末期でした。イスラエルの人々は戦争に敗れ、捕囚としてバビロンに連行され、長く続く捕囚生活で、将来に対する希望を失いました。預言者イザヤは失望落胆する人々に対して神から委託された言葉を語りました。それが今日の御言葉です。
18節に「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。」とあります。「初めからのこと、昔のこと」とは、出エジプトの出来事を意味します。16節には「主はこう言われる。海の中に道を通し、恐るべき水の中に通路を開かれた方。戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し、彼らを倒して再び立つことを許さず、灯心のように消え去らせた方。」とあります。神はエジプト軍を打ち滅ぼし、海を二つに分け、道を作り、イスラエルの人々を救出し、約束の地カナンに導き入れました。彼らは神の最大の恵みを経験しました。その神の最大の救いの出来事を「思い出すな、思いめぐらすな。」と言われるのです。「なぜでしょか」。それは、彼らが過去にこだわり、固執し、彼らの目が未来に向かわず、未来の道を見えなくしているからであると思います。彼らは表面的には神を讃えているが、心の奥深くでは、疑い、不安に慄き、絶望しているというのです。彼らは捕囚の中で、過去の栄光を懐かしみ、過去にこだわったために、一層惨めになりました。神は過去に固執し、過去に目を向け、未来に心を固く閉ざしている彼らを解放し自由にしようとしたのです。
19節に「見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。」とあります。「芽生えている」は「きざしが見える、既にきざしは見えている」という意味です。新しいこと、大きな神の恵みの出来事が未来に起こるきざしが見えている。未来の希望があるというのです。過去にこだわっている人々の心の目を、未来に向け、過去ではなく、未来に向かって生きよというのです。
19節に「わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。」とあります。出エジプトの時には、海を二つに分けて道を作り、イスラエルの民を渡らせました。しかし、今はバビロンとエルサレムを遠く隔てている荒れ野に道をつくり、大河を流れさせ、捕囚の民を故郷のエルサレムへ帰還させるというのです。イザヤは、捕囚という厳しい状況を越える幻とビジョンを示しました。35章1節に「荒れ野よ、荒地よ、喜び躍れ、砂漠よ、喜び、花を咲かせよ、野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。熱した砂漠は湖となり、乾いた地は水の湧くところとなる。」とあります。信仰に基づく幻とビジョンを歌っています。
19節の原文では「わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」の文頭に「再び」という言葉があります。再生の神、再生の希望です。イエスは、最後の晩餐の後、ペトロに「あなたが立ち直ったときには、兄弟を力づけてやりなさい」と言っています。ペトロの再生、再び立ち直ることを約束しています。イエスは放蕩息子が父のところに帰って来て、再びやり直したように、やり直しを許してくれます。信仰は「再び」を信じます信仰はいつでもやり直しを始める勇気と希望を与えてくれます。
ヨブは災難で10人の子供を亡くし、羊や牛などの財産も家屋も失い、難病に冒されました。「わたしの人生は狂い始め、わたしの計画も心の願いも失った」と嘆き悲しみました。友人は「明けない夜はない、暗黒の後に、光が近づく」とヨブを励ました。ヨブは「わたしには信じることができない。依然として、出口のない暗闇に置かれている。どこになお、わたしの希望があるのか。だれがわたしに希望を見せてくれるのか」と呟きました。しかし、神はヨブを再び立ち直らせます。ヨブ記14章7節に「木には希望がある。たとえ切られても、また新芽を吹き、若枝は絶えることはない。地におろした根が老い、幹が朽ちて、塵に返ろうとも、水気にあえば、また芽を吹き、苗木のように枝を張る」とあります。「水気」は「信仰、希望、聖霊」を意味します。切られても、聖霊が注がれれば、繋がれば、再び芽を吹き、苗木のように枝を張る。主に希望を置いて、未来を向いて、希望を抱いで、歩むことができるというのです。
21節に「わたしはこの民をわたしのために造った。彼らはわたしの栄誉を語らねばならない。」とあります。捕囚の人々の存在の意味を語っています。あなたがたは神に向かって造られ、神の栄光のために生かされているというのです。43章4節には「わたしの目にはあなたは価高く、貴く、わたしはあなた愛する。恐れるな、わたしはあなたと共にいる。あなたはわたしのもの。わたしはあなたを贖った。わたしはあなたの名を呼ぶ。」とあります。土の器に過ぎないあなたは、わたしにとって何にも替えることのできない神の器であるというのです。神は、わたしは彼らをわたしの栄光のために創造し、造り、仕立てた。神の栄光と栄誉のために、捕囚の苦難に打ち勝つことができるというのです。
ヘンデルの「メサイア」ではテナーが「ラッパがなると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられる(we shall be changed)」と繰り返し、繰り返し歌います。コリントの信徒への手紙Ⅱ5章17節に「キリストと結ばれている人はだれでも、新しく創造された者なのです」とあります。We shall be changed、わたしたちは変えられる。最後の勝利と永遠の命を賜る未来に希望をもって、今を生き抜き、クリスマスを目指して、確かな歩みを重ねていきたいと思います。