イスラエルの民はヨシュアに率いられてヨルダン川を渡り、神の約束の地、カナンに侵入しました。その後12部族それぞれに土地の配分が行われました。今日のテキストはゼブルン族に土地の配分がされたところです。「ゼブルン」は、ヘブル語で「ザーバル」と言い、「進む、前進する」という意味です。その動詞「ザーバド」は「贈り物をする、遺産とする」という言葉です。イスラエルの12部族の多くは、カナンに侵入したとき、先住民カナン人を恐れ、戦う気力を失いました。しかし、ゼブルン族はデボラの指揮に従い勇敢に戦いました。
12節に「西に向かってマルアラ、ダベシェト。ヨタネアムの東にある川に達して。日の昇る東の方は、サリドを出てキスロト・タボルの地域を通り、ダベラトからヤフィアの上り、更に東のガド・ヘフェル、エト・カツィン、リモアに達し、そこからネアは曲がる。」とあります。「東」は本来「日が昇る」という意味です。「日の昇る東」という言葉は、ゼブルン族が他の部族と違って非常に前向きで、積極的な生き方をし、勇気のある信仰的と肯定的な生き方を遺産とする部族であるというのです。
ヨシュア記1章5節に「わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない」とあります。そして、
9節にも「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」とあります。神は、否定的、悲観的な思いに支配され、戦うことを恐れ、心弱くしているイスラエルの12部族に、前向きに、積極的に、肯定的に生きるように勇気づけています。
「日本を語る」という著書の中で、アメリカ人と日本人の言葉の使い方を比較していました。ある事柄の達成度が80パーセントの場合、アメリカ人は「excellent・優秀だ、秀でている」と言い、日本人は「まずまずだね」と言うそうです。60パーセントの場合、アメリア人は「very good」と、日本人は「この成績でどうするつもりだ、大変だ」と言うそうです。40パーセントの場合、アメリカ人は「good」、日本人は「駄目だ」と言う。20パーセントの場合、アメリカ人は「fine・りっぱな」と言いますが、日本人は「これではどうすることもできない」となるそうです。日本人は、良い意味で言えば、何事にも控えめ、謙遜ということになりますが、悪く言えば、何事についても消極的で後ろ向きで、悲観的ということになります。ゼブルン物語は悲観的、否定的なるところが、信仰的に癒されて積極的に、肯定的に、前向きに変えられていくことを勧めているのではないでしょうか。
ある心理学者は、人が1日に語ることばについて調べたところ、80パーセント以上が「駄目、~をしていけない」という否定的、消極的な言葉を使っていると言います。ジャック・ニクラウスという有名なゴルファーがいました。彼は「妻に助けられた」と言っています。彼女はニクラスがスランプに陥った時、「あなた、左の肩が落ちては、駄目です」と言わないで、「あなた、左の肩をもう少し上がったら、良いと思います。きっと良い結果を生むでしょう」と言い、いつも肯定的な言葉を使っていたそうです。そして、肯定的な言葉は、ニクラウスを変え、そればかりでなく、周りの情況をも変えていったというのです。ゼブルン物語は否定的、悲観的な言葉ではなく、積極的、肯定的な言葉を使い、積極的、肯定的に生きることを勧めているのではないでしょうか。
民数記13章には、そのような事実を伝えている物語があります。イスラエルの民がカナンに侵入する前に、神は、12部族から偵察隊を選び、カナンの地を探らせました。彼らは四十日間、カナンを偵察し、モーセのところに戻って来て、その様子を報告しました。多くの偵察隊員は「住み着こうとする者を食い尽くすような恐ろしい土地だ。われわれが見た民は皆、アナク・巨人だった。彼らを見ていると、われわれは自分がいなごのように小さく見えた。彼らの目にもそう見えたに違いない。戦っても勝つ見込みがない。カナンヘ侵入は止めるべきである」と報告しました。しかし、カレブとヨシュアは神の言葉、約束を信じて、敢然と戦いに臨むべきだと主張しました。神はイスラエルの消極的で、悲観的な見方を厳しく裁き、長くカナンに入ることを許さなかったと言います。12部族の偵察隊には、カナン人がアナク・巨人に見え、自分たちはイナゴ、小さい、どうしようもない者に見えたのです。預言者イザヤも言いますように神の目を通して見なければ、イナゴ、虫けらのような存在に見てしまうというのです。
わたしたちもたびたび厳しい現実に直面させられ、自分の無力さ、弱さ、罪深さに気付き、たじろぎ、どうしようもないという思いにさせられます。しかし、神はどのような時にも、神の言葉を信じて望みをおいて生きることを求めています。神は自分がイナゴのように小さく見えても、アナク人・巨人に向かい、そして、戦い乗り越える力を与えてくれます。パウロは「貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしはすべてが可能です」(フィリピ4:12)と言っています。イエスは逮捕される直前に、自分から離れて行こうとする弟子たちに、「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っていると励ましています。神を信じて、結果は委ねて、前向きに、積極的に、勇気をもって肯定的に生きていきたいと思います。