2020年3月1日 ヨシュア記19章17-23節 「柔和と謙遜」

 テキストはヨシュア記19章17-23節の「イサカル物語」で、イサカルに領地が割り当てられるところです。イサカルに与えられた領地は、ガリラヤ湖の南西部のエズレル平原の一角で、思ってもみないほど狭い土地でした。イサカルにはゼブルンという弟がありました。弟ゼブルンに与えられた領地はイサカルに比べて遥かに広くて、豊な領土でした。イサカルの長子の特権は無視されました。しかし、イサカルはゼブルンを妬んだり、すねたり、失望落胆することもなかったといいます。
カインとアベル物語の兄カインは、神が自分の捧げた物を喜ばず、弟アベルの捧げ物を喜んだ。そのために、カインはアベルを妬み、恨み、野原に連れ出し殺害したといいます。エソウとヤコブ物語のヤコブは、エソウの長子の特権を策略で奪います。奪われたエソウはヤコブを憎み殺害しようとします。カインも、ヤコブも貪り、妬みの罪に苦しみます。モーセ十戒に「貪ってはならない」とあり、だれでも貪りの罪から救われなければならないといいます。イサカルは貪りの罪から解放され、ゼブルンを愛し敬いました。
イサカルは原語では「神が恵みを示してくださるように」という意味で、神はイサカルに柔和と謙遜を与えることによって、神の恵みを示したというのです。イサカルに与えられた領地は狭い土地でしたが、エジプトからレバノンに通じる重要な通商道路があり、地域の平和はイサカルに懸かっていました。イサカルが高慢で、自分の利益だけを求める好戦的な部族であったならば、絶えず戦いが生じたでしょう。しかし、イサカルは神の憐れみを受け、柔和と謙遜を身に着け、平和をもたらしたというのです。
 マタイ福音書11章28節に「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」とあります。この「柔和」は国語辞典では、「人柄が優しい、性質がおとなしい」という意味です。原語では、ギリシャ語で「パラウス」と言い、神との関係の中で用いられる言葉で、「主を信頼し忍耐する」という意味です。民数記12章3節に「モーセという人はこの地上のだれにもまさって柔和であった」とあります。モーセは決しておとなしい人ではありませんでした。時に戦い、争いました。エジプトを脱出し、荒れ野を旅する時、食べる物に窮し、飲む水がなく渇いた時、呟き、疑い、恨みました。困難に出会うと呟き、苦しい目に遭うと神を呪いました。しかし、モーセは絶望に陥ることなく、その苦難や苦しみや悩みに静かに耐えていくのでした。「モーセはこの地上のだれにもまさって柔和であった」と言われるのです。聖書の柔和・パラウスは困難に出遭っても、それが神の計画と意志の中で起こっていることとして、神を信頼して静かに耐えていくということです。それがイサカルの柔和・パラウスです。イサカルは長子の権限を弟ゼブルンに譲り、ゼブルンに仕えようとするのでした。そして、貧しく土地も与えられないレビ人のために、四つの町と放牧地を提供しました。イサカルは、主に徹底的に仕えようとする柔和と謙遜であるというのです。
主イエスは世の矛盾に絶望する弟子たちに、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」と言いました。この「謙遜」は国語辞典では「つつましい、へりくだっている」という意味です。聖書の謙遜は、ギリシャ語で「タペイノス」と言い、日本語の謙遜とは微妙に違い、言い換えれば「神に対する謙遜」を意味します。自分の罪と無力さを深く知り、神の支配と力により頼んでいく、つまり、神の前で、自らが無力であることを知り、神の恵みと赦しによってしか生きられないことを認識しることを意味します。パウロはフィリピの信徒への手紙の中で、「いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべて可能です」と述べています(フィリピ4:12)。自分の力や努力ではありません。詩編55編23節に「あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる」とあります。「わたしを強めてくださる方によって、わたしにはすべてが可能です」と主なる神を信頼し、すべてをゆだねて生きる。それが謙遜です。
 ダグ・ハマショールドは飛行機事故で亡くなりました。その直前に書いた最後の祈りが、彼の著書の「道しるべ」に載っています。「私たちを憐れみたまえ、私たちの努力を憐れみたまえ、私たちが愛と信仰とに満ち、正義を尊び、謙遜に御前にいで、己を律し、忠実を守り、勇気をもってあなたのあとについていけますように。そして私たちが、静寂のうちに、あなたに出会えますように。御姿が見えますように、清い心を与えたまえ。御声が聞こえますように、貧しい心を与えたまえ。お仕えさせていただけますように、愛する心を与えたまえ。あなたのうちに生きられますように、信じる心を与えたまえ。神よ、わたしはあなたを知りませんが、しかし、あなたのものです。神よ、わたしには御心が計り知れませんが、しかし、神はわたしのために、御自分をお捧げになりました」と。彼の武具は柔和と謙遜と信仰でした。イサカルも柔和と謙遜と信仰をもって戦いに臨んでいます。私たちも「わたしを強めてくださる方の陰で、わたしにはすべてが可能です」という言葉を信じて、前を向いて前進していきましょう。