2020年3月15日マタイ福音書4章1-11節「神の言葉によって生きる」

 テキストはイエスの荒れ野の誘惑物語です。「人はパンだけで生きるものではない」という言葉は広く知られていますが「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」は知られていません。また「人はパンだけで生きるものではない」という言葉が広く知られているからと言って、ここで語られている真理が、広く受け入れられているかと言えば、決してそうではありません。ある評論家は「イエスは、人はパンだけで生きるものではないと言われるが、しかし、やっぱりパンがなければ生きられない。どんな立派な、どんなに優れた芸術家であっても、パンがなければ、生きていくことはできない」と言います。また、ある人は、「人はパンだけで生きるのではないということは、余裕のある時に言われる言葉で、切羽詰った時にはそんなことは言っておれません。やはりパンがなければ駄目です。イエスの言葉は理想、観念としては言えるかも知れないが、現実的ではない。イエスの言葉は少し割り引いて聞かなければいけない」と言うのです。また、戦争で厳しい飢えを経験された人は、その苦しさを思い起こし、「『人はパンだけで生きるものではない』。そんなのんきなことは言ってはいられない」と言うのです。イエスの言葉を批判し、受け入れようとしません。
 申命記8章2節に「あなたの神、主が導かれたこの40年間の荒れ野の旅を思い起しなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた」とあります。イスラエルの民は40年間荒れ野で厳しい飢えを経験しなければなりませんでした。その時に、神は「マナ」を与え、イスラエルの民を養いました。その「マナ」の出来事の中で、この「人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という言葉は語られています。「思い起しなさい」は「想起する、覚える、感謝する」という意味です。イスラエルの民が本当の命に預かるためには、神が40年間の荒れ野の旅の中で行われたことを想起しなければならない。本質的なことは、40年間の荒れ野の苦しみはイスラエルの民を真の命に導くための試練である。その信仰的事実を信じることであるというのです。
 3節に「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」とあります。「知らせる」は「教える、悟らせる」という意味です。辛い経験と試みは、神がイスラエルの民を永遠の命に導くため、人がパンだけで生きるのではなく、主の口から出る一つ一つの言葉によって生きるという事実、真理を悟らせるためであるというのです。
 12節に「あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が殖え、銀や金が増し、財産が豊かになって、心がおごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい」とあります。約束の地に入り豊かになっても、自分の力で豊かになったと思い、神の恵みを忘れてはならないというのです。「富み」はヘブル語で「ハイル」と言い、「頼りがいがある」という意味です。つまり人をして神ではなく富を頼りにする。人が富を手にした時、神を信頼し、感謝することを忘れ、自分の力で築いたと、おごり高ぶるようになります。富み自体は悪いものではありませんが、本質的な救いに至らせないというのです。ヨハネ福音書15章4節に「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」とあります。「富」ではなく、神につながっていなければ、真の平安はないというのです。
17節に「あなたは、あなたの力と手の働きで、この富を築いたなどと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起しなさい。富みを築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」とあります。どんなに恵まれても傲慢にならないで、神を恐れ、神に答えていく。そのような生き方を可能にする信仰を求めるというのです。神は信仰の真理を教えるために、荒れ野で飢えているイスラエルの民にマナを与えたというのです。コリントの信徒への手紙Ⅰ10章13節に「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」とあります。神はイスラエルの飢え苦しむのをそのままにしておくことはありません。だれにも知られないように夜中にマナを降らせ、与えました。イスラエルの民が朝起きると、マナが宿営の周りに置かれていました。イスラエルの民は彼らの存在が根源から神に支えられている、神に生かされている事実を悟るのでした。コリントの信徒への手紙Ⅱ4章18節に「わたしたちは見えるものだはなく、目に見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」とあります。パウロは見えないものを信じ信頼して生きて行くことを求めています。イエスが荒れ野の誘惑の第一の戦いで勝ち得たのは、その見えない神を信じる真理です。イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言い、神の恵みを信じて、主につがり、委ねていくことを求めておられます。