2020年3月22日 マタイ福音書4章12-17節 「神の国は近づいた」

 テキストはイエスが初めて私的な立場から公の立場に立ち、宣教を始めたところです。12節に「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」とあります。「ナザレを離れ」の「離れ」は「捨てる」という意味です。イエスは故郷を捨て、つまり、私的な人生を捨てて、公の宣教を始めたというのです。
「ガリラヤに退かれた」の「退かれる」は、ギリシャ語でアナコメローと言い、「退却する、逃亡する」という意味です。つまり、イエスの宣教活動は「退却、逃亡」から始まったというのです。この「退かれる」は、マタイ福音書では度々用いられています。2章のクリスマス物語に、占星術の学者たちが帰った後、天使が現れて、ヨセフに、ヘロデが幼子を探し出して、殺そうとしている。エジプトに逃げなさいと命じ、ヨセフはその言葉に従って、夜の間に幼子とその母とを連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにとどまっていた、とあります。この「エジプトに逃げなさい」の「逃げる」と「幼子とその母とを連れてエジプトへ去り」の「去る」はアナコメロー(退く、逃亡する)です。また、23節の「そこに行くことを恐れた。ところが、夢でお告げがあったので、ガリラヤの地方に引きこもり、ナザレという町に行って住んだ」の「引きこもり」もアナコメロー(退却する、逃亡する)です。マタイ福音書はイエスの宣教活動は「退却、逃亡」を契機にと始まった。イエスの福音宣教は人間的に見れば、退却と逃亡という一見敗北に見える事柄を通して前進したというのです。
フィリピの信徒への手紙1章12節に「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい」とあります。「わたしの身に起こったこと」は捕らえられて獄に入れられたことを意味します。「かえって」は「反対に、逆に」という意味です。パウロの投獄が逆に福音宣教の前進に役立ったというのです。獄屋を守る兵士たちがパウロの主を信じる真摯な姿を見て、確信を持って、臆することなく勇敢に御言葉を語るようになったというのです。
創世記50章20節に「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」とあります。神は悪、マイナス、負を、善、プラス、益に変えてくださるのです。聖書の逆説的真理です。それが主イエスの福音です。
ボンヘッファーは「わたしは信じます。神はすべての事から、最悪の事からさえ、善いことを生み出すことができる。神はどのような困難においても、わたしたちが必要とする限り、それに打ち勝つ力を与えようとしておられる。わたしたちの過失や過ちも、決して無駄にはならない。神は過失や過ちを益・プラスに変えてくれることを。」と言っています。
 13節に「イエスは、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた」とあります。ゼブルン、ナフタリ、カファルナウムは異邦人の地に接し、たびたび侵略され、信仰を奪われました。15節には「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」とあります。海沿いの町はアッシリアに侵略され、多くの人が捕囚として連行され、その代わりに異邦人が住み着くようになりました。ユダヤ人からは、異邦人のガリラヤと軽蔑され差別され、絶えず、貧困と苦悩の中に置かれていました。「暗闇に住む」と「死の陰の地に住む」の「住む」は「倒れこむ、座り込む」という意味です。人々は恐れと苦しみで倒れ座り込んでしまった。その暗黒地にイエスは住まいを構え、住民になったというのです。そのイエスの出現を「暗闇に住む民は大いなる光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ」と言うのです。コリント第Ⅱ12章9節に「すると主は『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と言われました」とあります。神の力は人の弱さ、問題、苦悩の中でこそ十分に発揮されると言います。その福音はイエスに源を持ち、イエスの宣教と活動で始まったというのです。
 17節に「そのときから、イエスは、『悔い改めよ。天の国は近づいた』と言って、宣べ伝え始められた」とあります。この「天の国」は、死んでから後に行く天国のことではありません。マタイ福音書は旧約聖書の伝統に従って、神の代わりに「天」という言葉を用いました。つまり「天の国」は「神の国」という意味です。「国」は「領地」ではなく「支配」のこと、神の支配、神の働きです。神の支配は、イエスが来て、教え、病人を癒し、貧しい者、重荷を負っている者を愛することによって既に始まっているというのです。この世・コスモスは矛盾と不条理に満ちています。しかし、神が、その世界・コスモスに力を及ぼしておられる。働きかけておられる。その時(カイロス)が始まったと告げているのです。
「悔い改めよ。神の支配は始まっている」の「悔い改め」は「向きを変える」という意味です。今までの自分の生活の中にあった心の向きを変える。闇に向いていた心を光に向けることです。神が「光あれ」と言うと、光が創造されました。そして、神はその光を見て、「よし」と言われました。悔い改める。暗闇から光に向きを変える。神の前に立ち、神に向き合えば、救いの道、幸いの道を歩むことが出来るというのです。