2020年4月12日イースター マタイ福音書28章1-10節「キリストの復活」

 イースターのテキストはマタイ福音書28章1-10節の「復活する」です。1節に「さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである」とあります。安息日の翌日、日曜日の明け方のことです。婦人たちは夜明けを待って、埋葬のとき出来なかったイエスの遺体に塗る香料を持ち、墓の入り口を塞いであった大きな石を動かしてくれる人がいるだろうかと不安をもちながら、墓に向かいました。墓に着くと大きな地震が起こり、墓をふさいでいた石が脇に転がり、その上に天使が座っていたというのです。「石をわきへ転がし」の「転がす」は「倒す、なぎ倒す」、「石」は「壁のような石、大きな蓋」を意味します。つまり、イエスの復活は大きな壁をなぎ倒すような力に満ちた出来事であったというのです。  
 フィリピの信徒への手紙3章10節に「わたしは、キリストと、その復活の力とを知り、何とかして死者の中からの復活に達したいのです」とあります。また、ペトロの手紙Ⅰ1章3節に「神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からイエス・キリストの復活の力によって、生き生きとした希望を与え、天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼむことのない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています」とあります。復活は神の力であり、永遠の希望であるというのです。この「力」はギリシャ語で「デュナミス」と言い、ダイナマイトの語源でダイナミックな力を意味します。ヨハネ福音書11章の「ラザロの復活」物語では、イエスが墓に納められているラザロに向かった「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ぶと、ラザロは手と足を布で巻かれ、顔を覆いで包まれたまま墓を破って出て来たと記しています。つまり、復活はわたしたちを閉塞し、苦しめ、絶望させるあらゆる罪と死のしがらみから解放する力・デュナミスであるというのです。
 5節に「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにおられない。かねて言われたとおり、復活なさったのだ』」とあります。7節には「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる』」とあります。「復活する」はギリシャ語で「エゲロー」と言い、「死から立ち上がる、死から解放される」ことを意味します。イエスの復活を信じる信仰は、艱難、苦難、迫害、飢え、恐怖、罪、死に打ち勝ち力であるというのです。
 8節に「婦人たちは、弟子たちに知らせるために走って行った。すると、イエスが行く手に立って、『おはよう』と言われたので、婦人たちは、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した」とあります。「すると」は「見よ」という意味です。見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ、見える現実だけでなく、もう一つの信仰の真実に目を注ぐ「見よ」です。「行く手に立つ」は、原文は「迎えに来て」となります。「おはよう」は「喜べ、勝利せよ」という意味です。意訳すると、「見よ、イエスが迎えに来てくださり、『喜べ、勝利せよ』と言われたので、婦人たちは、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した」となります。イエスが婦人たちとイエスを裏切り捨てた弟子たちとを迎えに来た、つまり、赦し受け入れ、栄光を与えてくださるというのです。
コリントの信徒への手紙Ⅰ15章20節に「実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです」とあります。イエスは絶望しているわたしたちに先立ち、初穂となり、復活し、永遠の命を与えてくださるというのです。
 辻宣道牧師は、著書「その時の祈り」の「イースターの朝」に「私たちは十字架までは理解できても、そこから先の復活に進めない弱さをもっています。いま、聖書が告げる復活の福音をアーメンと受け入れ、信じる者とさせてください。復活の信仰が私のものとなるとき、まだ見ぬ世界がひらけてきます」と記しています。復活を信じる信仰はわたしたちに新しい救いの世界を与えてくれると言うのです。
復活信仰に救われましたと言う彼女は夫をガンで亡くされました。ガンは全く前兆もなく夫を襲い、夫は一年も経たないうちに亡くなられました。彼女はこの不条理に悲しみに打ちひしがれ、絶望しました。しかし、不思議な神の導きにより、教会に導かれました。夫が亡くなって5年、今度は自分にガンが見つかりました。それも悪性の末期ガンで、既に転移していることがわかりました。しかし、彼女は不思議にも、毅然とし、この不条理な事実を冷静に受け入れることが出来ました。彼女は死を超えた復活信仰と永遠の希望を与えられているからですと言うのです。
 ローマの信徒への手紙8章37節に「しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしたちは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」とあります。復活は永遠の希望、死を超えた希望です。神はイエスの復活の力によって、わたしたちに死に打ち勝つ永遠の希望を与えてくださいました。絶望と死を超える永遠の希望こそ復活信仰です。復活の希望をもって不条理な窮地を乗り越えていきたいと思います。