与えられたテキストは列王記上18章の預言者エリヤの物語です。1節に「多くの日を重ねて3年目のこと、主の言葉がエリヤに臨んだ。『行って、アハブの前に姿を現せ』。エリヤはアハブの前に姿を現すために出かけた」とあります。エリヤは、アハブ王の迫害を恐れ、ヨルダンの東のシドンのサレプトに3年間逃げていました。今、迫害者アハブ王の前に立てという神の言葉に促され決断し、立ち上がり、アハブ王に対決したというのです。弱くて臆病なエリヤが、アハブ王を恐れない者に変えられました。コリントの信徒への手紙Ⅱ5章17節に「キリストと結ばれている人は誰でも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」とありますように、新しいエリヤが生まれたのです。
姜尚中(カン・サンジュン)さんは、アメリカの心理学者のウィリアム・ジェームズの「人は二度生まれtwice born」という言葉を引用し、「信仰は人を二回生まれさせる。健全な心で普通に一生を終える一度生まれ(once born)よりも、病める魂で、二度目の人生を生き直す、二度生まれの人生の方が尊い。マックス・ウエバーや夏目漱石も、ルターも二回生まれを経験した」と言います。ルターは22歳の時、落雷に遭い、死の恐怖を経験し、聖アンナ、助けください。修道士になりますと神に誓いました。そのことが契機になってルターの新しい人生が始まりました。今日のエリヤも、姜さん流に言えば、「二度生まれ」の経験をします。臆病でひよわなエリヤが、何にも臆さないエリヤに変えられました。
エリヤがアハブ王に会う前にオバドヤと出会いました。3節に「アハブは宮廷長オバドヤを呼び寄せた。オバドヤは心から主を畏れ敬う人で」とあります。「宮廷長」となっていますが、召使いの長で、「アハブ王の奴隷」です。奴隷ですから、主人に絶対服従で、自分の考えをもつことはできません。オバドヤという名前は「ヤハウェ、主の僕」という意味です。彼は心から主を畏れ敬う人で、心の内にヤハウェの信仰を持っていました。彼は二つの人格を持ち内面的な戦いと葛藤の中で生きていました。心の内で、神を深く信じていました。そのために、主人であるアハブ王の宗教政策、バアルの神の崇拝、ヤハウェの預言者の迫害には憤りを感じていました。憤りを表せば、生命の危機に直面しますので、沈黙していなければなりませんでした。しかし、沈黙する自分を許せず、そこに葛藤がありました。
4節に「イゼベルが主の預言者を切り殺したとき、百人の預言者を救い出した」とありますように、オバドヤの尊敬できるところは、ヤハウェの預言者の100人をかくまい、助けた勇気と気概にあります。王妃イゼベルを恐れながら、命がけで戦った信仰です。オバドヤの信仰と行動は、エリヤに感動を与えました。エリヤは葛藤の中で、神に従おうとするオバドヤを敬服しているのです。
佐藤優さんは「信仰者は、見える世界と見えない世界、二つの世界の関わりの中で生きる」と言われます。コリントの信徒への手紙Ⅱ4章18節に「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」とあります。バアルの宗教は、見える世界だけしか持っていません。苦しみや悩みや死を越える世界、罪の赦しの世界、見えない世界を持っていません。そのために滅びに至りました。
姜尚中さんは「悩みは力である。悩みは悩みを生き抜く力を生み出す」と言います。オバドヤが、悩みと矛盾の中で、苦しんだ末、神の道を選び取っていきます。このオバドヤの信仰と生き方は、エリヤに勇気と希望を与えました。オバドヤはアハブ王の僕、召使いです。その土の器のオバドヤが人に希望と勇気を与える神の器として用いられたというのです。
16節に「オバドヤはアハブに会って知らせたので、アハブはエリヤに会いに来た。アハブはエリヤを見ると、『お前か、イスラエルを煩わす者よ」と言った』とあります。「煩わす者」とは、原語では「伝染病のような者」という意味です。アハブ王はエリヤに対して、「イスラエルを滅ぼす伝染病の元凶である」というのです。それに対して、エリヤは「ヤハウェを捨てて、バアルに従うあなたこそ、イスラエルを滅ぼす元凶です。確かに、わたしは伝染者ですが、ただの伝染者ではありません。神の希望の伝染者です」と言い返しました。エリヤは、アハブ王が集めたバアルの預言者450人とアシュラの預言者400人と、カルメル山で、ただ一人で戦いました。激しい戦いの末、バアルの預言者を打ち倒し、勝利しました。このエリヤの戦いは、私たちの人生の戦いを象徴しています。エリヤがバアルの預言者の戦いに勝利したことは、わたしたちの先駈けになられたということです。
パウロは、イタリアで裁判を受けるために囚人として船でローマに送られました。その途中で、エウラキロンと呼ばれる暴風に襲われ、船は座礁し、難破しそうになりました。「人々は積み荷を捨て始め、三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」。その時、パウロは一人立ち上がって、「しかし今、あなたがたに勧めます。皆さん、元気を出しなさい、わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります」と叫びました。「元気を出す」は「勇気を出す、しっかりする」と言う意味です。「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」とあります。船には船長をはじめ、船員、乗船者、276人乗っていました。パウロは囚人ですが、ひとり立ち上がらり、「元気を出しなさい。勇気を出しなさい」と励ましました。私たちも土の器に過ぎない者ですが、神に支えられ励まされ、神の勇気と希望を指す者でありたいと思います。