与えられたテキストはマタイ福音書14章1-21節の「二つの食事、ヘロデ王の誕生を祝う祝宴と五つのパンと二匹の魚で5千人以上の人を養う主イエスの食事」です。二つの食事を並列させているところにマタイ福音書の編集の意図があると思います。ヘロデ王の誕生の祝宴ですが、その中で、バプテスマのヨハネが処刑されるという残忍な事件が起きています。ヘロデ王と義弟のフィリポの妻ヘロディアは、二人とも野心家で利益・打算が一致して律法で許されない結婚をします。律法に忠実で正義感の強いバプテスマのヨハネはその結婚に厳しく反対しました。ヘロデ王はバプテスマのヨハネを恨み憎しみ、首をはね、殺害しました。ヨハネは30歳前後でした。イエスの母マリアとヨハネの母エリザベトとは親戚同士です。ヨハネはイエスより早く生まれ、大人になってからも、イエスより早く神に仕える道を選びました。エッセネ派に入り、荒れ野で修業し、神を畏れ敬い、神の裁きを語り、悔い改めを迫り、悔い改めのしるしとしてヨルダン川で洗礼運動を起こし、イエスはヨハネから洗礼を受けました。ヨハネは神の義と裁き語る聖書の最後の預言者でした。
12節に「ヨハネの弟子たちが遺体を引き取って葬り、イエスのところに行って報告した」とあります。イエスの洗礼者、義の預言者が正当な理由もなく殺害、処刑されたのです。ヨハネの弟子たちとイエスの弟子たちは激しく動揺しました。ヨブ記のように、正しい者がどうして苦しまなければならないのか。神の御旨はどこにあるのかという信仰の本質に関わる事柄が問われました。
山浦玄嗣先生は、「なぜと問わない」という著書を出版しています。東日本大震災で、大きな被害を受けました。しかし、「なぜ」と問わないで、悲しいけれど、受容し、未来に希望を見出していく、それが御心ではないかと言われるのです。今日のテキストも不条理な矛盾を乗り越える信仰が取り扱われていると思います。
13節に「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、人里離れたところに退かれた」とあります。「人里離れたところ」は「エレモー・荒れ野」と「トポン・その場所」という二つの言葉からなっています。マタイ福音書4章1節のサタンの試みにあった荒れ野を意味します。意訳すれば、「サタンの試みに打ち勝った荒れ野のその場所」となります。
ルカ福音書4章13節に「悪魔はあらゆる誘惑を終えて、時が来るまでイエスを離れた」とあります。悪魔は再び、信仰を失わせ、希望を奪い取ろうとイエスを試みました。そして、絶望と虚無に打ち勝つイエスが証しされています。
原文には「退かれた」に「一人で」という言葉があります。イエスはヘロデ王がヨハネを虐殺し、今度は自分を捕らえようとしていることを知りました。しかし、イエスはアハブ王がアッシリアやエジプトという見える世界を頼って、援助を求めたように、見えるものを頼り、助けを求めませんでした。イエスは、「人里離れた荒れ野に一人で退かれた」というのです。コリントの信徒への手紙Ⅰ4章18節に「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」とあります。
臨床死生学の専門の清水哲郎先生は「人間として最後まで希望を持って生きるためには、人の輪の中で生きなければならない。わたしたちは一人では生きられない。共同で生きるように生まれついている。みんなと一緒に、或いは、少なくとも誰かと一緒に歩むものでなければ希望を持てない。希望は、自分は孤独ではないことの確認と連動している」と言われます。カフカも人間は共に生きる存在だと言います。しかし、イエスは一人で退いたというのです。敢えて「一人に」なっているのです。清水先生は「自分は孤独ではないことの認識が大事だ」と言われました。イエスも、「あなたを捨てて孤児とはしない」と約束したように、神が共にいてくださるというのです。神のことを「ヤハウェ・いる者、わたしは必ずあなたと共にいる存在である」と言っています。神は「わたしは、あなたが何処に行こうと、何処に置かれようと、あなたと共にいる」と約束されます。イエスは荒れ野のその場所に一人で退くことによって、その信仰的事実を証しているのです。
14節に「イエスは舟から上がると、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中から病人をいやされた」とあります。「いやされた」は、「世話する、保護する、仕える」という意味です。「病人」は「弱い」という意味で、バプテスマのヨハネの殺害という不条理な現実に出会って、心を弱くする者、絶望する人々のことです。その人々を世話する、保護する、守るというのです。
16節に「イエスは言われた。『行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい』」とあります。原文は「あなたがたの手で、・・・」となっています。弟子たちは五千人群衆に圧倒されて、「五つのパンと二匹の魚しかない」と呟いています。その無力だと嘆き悲しむ弟子たちに未来を開こうとしています。イエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、讃美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちに渡し、弟子たちがそのパンを群衆に与えると、すべての人が食べて満服したといいます。主イエスは不条理を乗り越える信仰の勝利を見せて下さいまいた。見えない世界の信仰の勝利です。死と絶望に先立つ勝利を先取してくださいます。今は見えないかも知れませんが、終末論的希望の光を見せ、死から新しい命へと導いてくださいます。