与えられたテキストは「からし種とパン種の譬え」です。31節に「天の国はからし種に似ている」とあります。「天」は「空、大気、見えない神的世界」を意味します。マタイ福音書は「見えない世界」を重要視し、人はその関わりの中で生きることを強調しています。遠藤周作は、「留学」の中で、カトリックの聖堂を見て、「天を志向する尖った塔がある。厳かに地上的なものと地上を越えたものとが重なっている。地上のものと地上を越えた二つの世界がある」と言っています。遠藤周作は「日本人とキリスト教」という問題をライフワークにされていました。日本人は現実主義、功利主義で、見えない世界を認めにくい。しかし、人間は、確かに「見える世界」と「見えない世界」の中で生きていると言うのです。マタイ福音書も、「天の国」という概念を用いて、人間は見えない世界に関わって生きることを強調しています。
フィリピの信徒への手紙3章20節に「わたしたちの本国(国籍)は天にある」とあります。パウロはデアスポラのユダヤ人ですから、ユダヤ人の 国籍を持っていました。また、タルソス生まれで、ローマの市民権も持っていました。そういう国籍、地上の権利とは違う天の国籍を持っているというのです。
フィリピの信徒への手紙3章19節に、「彼らは腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えていません。しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」とあります。「考えない」は「心を向けない、心を掛けない」という意味です。「世」は「地と上」という言葉からなっていて、「地上のもの」を意味します。言い換えれば、「見える世界」です。律法主義者は見える世界、地の上のことしか考えていない。見える世界と見えない世界との関わりの中にあるのに、見える世界だけに気を取られている、頭がいっぱいになっているというのです。「わたしたちの本国は天にある」の「本国」は「生きる根拠、アイデンティ、人の存在の根拠」を意味します。つまり、人の存在の根拠は見えない世界にある、というのです。佐藤優は、「はじめての宗教論」の中で、「人間は見えない世界、超越性を持たないと生きていけない」と言います。コリントの信徒への手紙Ⅰ4章18節に「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」とあります。人間は、生きる根拠を地上に置くだけでは、生きられないというのです。
コリントの信徒への手紙Ⅰ7章29節に「今からは、妻のある人はない人のように、泣く人は泣かない人のように、喜ぶ人は喜ばない人のように、物を買う人は持たない人のように、世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のように」とあります。見えない世界との関わりの中で生きる生き方を「かのように」と言います。言い換えれば、この世のものを大事にし、使命と意味を見出す。同時に、距離を置く、自己や自己に属するものを絶対化しないで、自由と寛容を持って生きるというのです。
マタイ福音書13章32節に「どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」とあります。この「小さい」はギリシャ語で「ミクロ」と言い、「微小、極微、限りなくゼロに近い」という意味です。「大きくなる」は「メガース」と言い、「最大、限りなく無限」という意味です。「微小・ミクロス」が、「メガース・最大」になるというのです。
「からし種とパン種の譬え」が語られた文脈を見てみます。10章のイエスが12弟子たちを選び、派遣する場面から始まります。イエスは「わたしはあなたがたを遣わす。狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。この地は、あなたがたを迎え入れず、あなたがたの言葉に耳を傾けようとしない。その時は、靴の底の塵を払って、そこから出て行きなさい。人々を恐れてはならない。体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来る方を恐れなさい」という言葉をもって弟子たちを派遣しています。その文脈の中で「からし種とパン種の譬え」は語られています。言い換えれば、弟子たちへの励まし、慰め、勇気づけ、背中を押す言葉です。
弟子の数は12人です。敵対するファリサイ派の人々や律法学者の数に比べたら、問題になりません。正に、からし種やパン種です。ミクロス、微小・限りなく無に近いです。しかし、神は数の少ない、小さな群れ故に、目を注いでくださり、寄り添い、共にいてくださるというのです。姜尚中は「続・悩む力」の中で、イギリスの経済学者E・F・シューマッハーの「Small is beautiful」という言葉を引用し、「神は小さいものこそ、愛おしみの眼差しを注ぐ」と述べています。
申命記7章7節に「主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちはどの民よりも貧弱であったからだ」とあります。「貧弱」は「小さい、ミクロス、少ない、僅か」という意味です。神は「小さい者、無きに等しい者」に心引かれるというのです。弟子たちは12人で、点のような存在です。弟子たちの心細く、心は揺れていました。しかし、イエスはミクロスがメガースに成長すると約束します。しかし、直ぐではありません。終末論的希望、信仰的真理です。イエスが見せてくれる真理ですから、信じて、委ねて希望を持っていきたいと思います。