2021年5月30日 列王記上18:1-19 使徒言行録27:24-26「神の希望を伝える」

 預言者エリヤの物語です。エリヤはアハブ王の迫害を恐れ、ヨルダンの東のシドンのサレプトに逃れました。それから三年、弱くて臆病なエリヤがアハブ 王を恐れない者に変えられ、神の言葉に促され、迫害者アハブ王の前に立ちました。
1節に「多くの日を重ねて3年目のこと、主の言葉がエリヤに臨んだ。『行って、アハブの前に姿を現せ。』。エリヤはアハブの前に姿を現すために出かけた」とあります。「アハブの前に姿を現せ」の「姿」は、口語訳では「あなたの身」と訳されています。言い換えれば、「存在、アイデンティ、使命」という意味で、自分のアイデンティと使命を自覚した新しいエリヤを意味します。「現せ」は「示せ、変われ」という意味です。意訳すると、「現せ、アイデンティティを。変われ、新しい自分に」となります。
姜尚中は、心理学者のウィリアム・ジェームズの二度生まれ・twice bornを引用し、「信仰は人を二回生まれさせる。マックス・ウエバーも夏目漱石も二回生まれの経験者です。健全な心で普通に一生を終える一度生まれ(once born)よりも、病める魂で、二度目の生を生き直す二度生まれの人生の方が尊い。また、一度生まれの人の人生は『直線的』であり、『一階建て』である。これに対して、二度生まれの人の人生は『二階建て』で神秘がある」と言われます。ルターも二回生まれです。ルターは22歳のとき、落雷に遭い、死の恐怖を経験し、「聖アンナ、助けください。修道士になります」と祈りました。そのことがきっかけで、新しい人生が始まりました。預言者エリヤも「二度生まれ」を経験し、臆病な弱いエリヤが、何にも臆さないエリヤに生まれ変えられました。
列王記上18章はエリヤがアハブ王に会う前に、オバドヤに出会ったことを記しています。3節に「アハブは宮廷長オバドヤを呼び寄せた」とあります。口語訳は「家づかさオバデアを召した」と訳し、「僕・召使いの長である」といいます。アハブ王の僕ですから、アハブ王に絶対服従でした。しかし、オバドヤという名前が「ヤハウェ・主の僕」という意味であるように、心の内にヤハウェの神信仰を持っていました。つまり、オバドヤは二つの人格を持ち、内面的な葛藤の中で生きていました。アハブ王がバアルの神を崇拝し、ヤハウェの神の預言者を迫害することに酷く心を痛めていました。しかし、それを表せば、自分の職と生活の糧を失い、生命の危険さえあり、沈黙していなければなりませんでした。しかし、心の内には黙する自分が許せない葛藤がありました。その葛藤の中で、オバドヤはヤハウェの預言者の百人をかくまい、救い出しました。アハブ王を恐れながら、取ったオバドヤのやむにやまれぬ行動です。オバドヤの信仰は、エリヤに勇気と希望を与えました。
佐藤優は「信仰者は、見える世界と見えない世界、二つの世界の関わりの中で生きる」といいます。預言者を苦しめたバアル宗教は「見える世界」、苦しんだり、悩んだり、死を越える世界や、罪の赦しの世界、「見えない世界」を持っていません。そのために、滅びに至ったといいます。姜尚中は「悩みは力である。悩みを抜くことが生きる力を生み出す」といいます。オバドヤは悩みと矛盾の中で神の道を選んでいます。そのオバドヤの信仰と生き方は、エリヤに勇気と希望を与えました。オバドヤはアハブ王の僕、召使いです。その意味では取るに足らない、土の器です。しかし、神はその取るに足らない奴隷のオバドヤを豊かに用いられたというのです。
エリヤは、オバドヤから勇気と希望が与えられ、アハブ王の会見に臨みます。アハブ王はエリヤに「お前は、イスラエルを患わす者だ」と言います。「煩わす者」とは「伝染病のような者」という意味です。アハブ王は「エリヤはイスラエルを滅ぼす伝染病の元凶、不幸の原因である」というのです。すると、エリヤは「ヤハウェの神を捨てて、バアルに従うあなたこそ、イスラエルを滅ぼす元凶です。確かに、わたしは伝染者ですが、ただの伝染者ではありません。神の希望の伝染者です」と反論しました。伝染病者でも、神の希望の伝染病者であるというのです。エリヤはアハブが集めたバアルの預言者四百五十人とアシュラの預言者四百人と、カルメル山で戦いました。激しい戦いの末、バアルとアシュラの預言者を打ち倒し勝利しました。エリヤの戦いは、誰もが経験しなければならない人生の戦いを象徴し、また、エリヤの勝利は、わたしたちの勝利の先駈けであるといいます。
パウロは、ローマで裁判を受けるために船で送られます。船は途中で、エウラキロンという暴風に襲われ、座礁し、難破しそうになりました。使徒言行録27章20節に「積荷も船具も海に捨て、幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消え失せようとしていた」とあります。そのとき、パウロは立ち上がって、「皆さん、元気を出しなさい、わたしは神を信じています」と言いました。「元気を出す」は「勇気を出す、しっかりする」という意味です。ローマに護送される囚人パウロが、「勇気を出すように」と励ましているのです。神は囚人のパウロを用いて勇気づけるというのです。ヨハネ福音書16章33節に「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」とあります。主イエスは苦難と試練の中にある者に救いと勇気を与え、新しく造り変え、神の希望を伝える者にしてくださいます。この約束の言葉を信じて、受け入れていきたいと思います。