モーセが生まれ育ったのはエジプトです。イスラエル人はエジプトの奴隷でした。ある日、モーセは、エジプト人がイスラエル人を虐待しているのを見て、怒りに燃え、そのエジプト人を殺して、地中に埋めるという罪を犯しました。モーセはエジプトにいることができず、ミディアンに逃れました。そこで祭司のエテロに助けられ、かくまわれ、羊飼いの仕事が与えられました。エテロの娘ツィポラと結婚し、子どもを儲け、寄留者生活でしたが、幸せな生活を送っていました。その時モーセの人生を変える出来事が起こりました。神に出会い、「エジプトに帰り、重労働で苦しめられている同胞のイスラエル人をエジプトから脱出させよ」と命じられました。当時のエジプトは、ピラミッド文明が示すように強力で大国でした。それに比べてイスラエルは、国土もない、奴隷でした。モーセは亡命者で寄留者でした。
4章10節に「それでもなお、モーセは主に言った。『ああ、主よ。わたしはもともと弁の立つ方ではありませんあなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです』」とあります。モーセは、エジプトの強力な権力の前で、自分の弱さを恐れて震えていました。
4章11節に「主は彼に言われた。『一体、誰が人間に口をあたえたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。さあ、行くがよい。』」とあります。神は、口の重いモーセをエジプトの王ファラオに遣わしました。モーセは神の言葉に促されて、エジプトの王ファラオの前に立ち、「イスラエルの神は、『わたしの民を去らせ、奴隷の苦役から解放しなさい』と、あなたに伝えよと命じられました」と言いました。すると、王ファラオは「お前の言う『主』とは一体何者か。どうしてお前の言うことを聞いて、お前達を去らせなければならないのか。わたしはお前の言う主など知らないし、イスラエルを去らせることはしない。そのように反逆するなら、煉瓦を焼くわらを自分で見つけよ。しかし、同じ数の煉瓦を焼くのだ」と、更に過酷な重労働を課せました。イスラエルの人々は、王ファラオの怒りを知って、「わたしたちを王とその家来たちに嫌わせ、剣を彼らの手にわたして殺させようとしている」と、モーセに激しく詰め寄りました。
モーセは窮地に追い込まれ、主のもとに帰って、「わが主よ、あなたはなぜ、この民に災いをくだされるのですか。わたしを遣わされたのは、一体なぜですか。わたしがあなたの御名によって語るため、ファラオのもとに行ったから、彼はますますこの民を苦しめています。それなのに、あなたは御自分の民を全く救い出そうとされません」と訴えました。神の言葉に従ったのに、事態は悪化するばかりです。神の御旨を一体どこにあるのかと疑うのです。
6章1節に「今や、あなたは、わたしがファラオにすることを見るであろう。わたしの強い手によって、ファラオは彼らを去らせる。わたしの強い手によって、ついに彼らを国から追い出すようになる。」とあります。この「今や」は、「今に、やがて、そのうちに」という意味です。今は遣わされた意味が分からないかも知れないが、今に、やがて分かるようになるというのです。ヨハネ福音書13章7節に「イエスは答えて、『わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる』と言われた」とあります。ヴィクター・フランクルが言うように、神のなさることは、今は分からないが、神の時が満ちると、理解できる時が必ず与えられるというのです。
2節に、「神はモーセに仰せになった。『わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神(エル・シャダイ・強い者)として現れたが、主(ヤハウェ)というわたしの名を知らせなかった。わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。』」とあります。3章14節には「神はモーセに、『わたしはある。わたしはあるという者だ』」とあります。「わたしはある」は「わたしはいる」と訳すことができます。「主ヤハウェの神は必ずあなたと共にいる」。あなたがどこにいても、あなたがどこに行こうと、どこに置かれても共にいる方であり、存在の根拠であるというのです。
4節に「わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した。わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい。わたしは主である。わたしはエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う。そして、わたしはあなたたちをわたしの民とし、わたしはあなたたちの神となる」とあります。主ヤハウェは紅海渡航で、海を二つに裂き、イスラエルを渡らしてくれました。荒れ野では昼は雲の柱、夜は火の柱になって導きました。イスラエルの人々の問題は、神の約束を信じ抜くことでした。
マタイ福音書6章33節に「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要であることをご存じである。なによりもまず、神の国と神の義とを求めなさい。そうすればそれらは全て添えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。」とあります。イエスは今日も、明日も約束の言葉を信じて歩めと言われます。難しいことですが、イエスの約束の言葉を信じ抜いて、歩んでいきたいと思います。
説教を読んで下さり感謝します。キリストの福音が届きますことをお祈りします。ありがとうございました。