与えられたテキストは、ソロモンに神殿建設を命じられましたが、ソロモンが若くて、経験も乏しいので、ダビデが代わって神殿建設に携わったところです。ダビデは、「自ら進んで手を満たし、主に差し出す者はいないか」(5節)と呼びかけました。すると、イスラエル諸部族の司たちや千人隊長や百人隊長、高官たちが「自ら進んで」金、銀、青銅、宝石を献げたといいます。9節に「民は彼らが自ら進んでささげたことを喜んだ。彼らが全き心をもって自ら進んで主にささげたからである。ダビデ王も大いに喜んだ。」とあります。「自ら進んで」は、「自分自身を奮い立て、喜んで」という意味で、二回も使われています。信仰にとって「自ら進んで」ということが、最も本質的なことであると考えていた事実を示しています。
13節に「わたしたちの神よ、今こそわたしたちはあなたに感謝し、輝かしい御名を賛美します。このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません」とあります。マラキ時代になると、献げ物が10分の1を献げると律法で定められましたが、ダビデにとっては律法ではなく、自ら進んで、喜んで献げる信仰が本質でありました。ダビデは「わたしの持っているものは、すべてあなたがくださったもので、それをお返ししているにすぎません。わたしたちが神殿を建てようと集めたものは、すべてあなたから出ているのです」と言っています。ダビデは神殿建築を通して、信仰の土台を明確にしようとしています。
コリントの信徒への手紙Ⅰ3章10節に、「わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練家のような土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。イエス・キリストという既に据えられた土台を無視して、だれもほかの土台を据えることはできません。」とあります。建物にとって土台が大事であるように、教会も土台が大事である。自ら進んでという自発的な信仰と神の一方的な恵みが土台であるというのです。
パウロは、教会はキリストの体であると言います。人はいろいろな器官が集まって人間になるように、教会も、いろいろと違っている人が集められ、一つになっている。そして、一つになる要因は「自ら進んで、自発的な信仰である」というのです。コリントの信徒への手紙Ⅱ9章7節に「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めた通りにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです」とあります。「喜んで」は「自ら進んで」という意味です。その「喜んで、自ら進んで」が教会形成の土台だというのです。
歴代誌上29章14節に「すべてあなたからいただいもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したすぎません」とあります。コリントの信徒への手紙Ⅰ4章7節には「あなたの持っているもので、もらっていないものがあるか。もしもらっているなら、なぜもらっていないもののように誇るのか」とあります。わたしたちの持つ物はすべて、究極的には「所有・have」ではなく「所与・given」であるというのです。
イエスはマタイ福音書25章で、ある主人が僕らにそれぞれタラントンを預けて旅に出て、帰って来て、決算するというたとえを話しています。わたしたちが所有するすべてのものが、主人から一時預けられたものであるというのです。パウロはその信仰を「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」と言い表しています。「恵み」はギリシャ語で「カリス」と言い、「神の愛、恩寵、賜物」を意味します。自分の力でではなく、神によって生かされていると言うのです。わたしの存在の土台は、神の恵み・であるというのです。
詩人の谷川俊太郎さんと「野の花診療所」を開設している徳永進さんと交わした手紙が「詩と死をむすぶもの」と言う書名で出版されています。その中で「エリザベス・キュブラー・ロス」について記しています。キュブラー・ロスさんは「死の瞬間」という著書や癌告知やスピチュアル・ケアーで、著名な医師でした。彼女は65歳で、脳卒中で倒れて半身不随になり、ヘルパーに助けられながらひとり暮らしをすることになりました。「40年間神に仕えてきて、引退したら脳卒中の発作が起き、何もできなくなり、歩くことさえできなくなった。だからわたしは烈火のごとく怒って、神をヒトラーと呼んでいる」と記しています。また、「殆どの人は、元気な時は、苦しみや試練や困難に出会い、あらゆるものを喪失すると、神からの罰だと人生を呪います。しかし、自分自身の身に起こるものに悪いことは、何一つないことに気付かなくてはなりません。どんな試練も困難も、最も辛い喪失も、すべてあなたへの贈り物なのですと言って励ましてきました。しかし、いざ自分が苦難の淵に投げ込まれると、神を呪い、神に怒り、運命を恨む」と告白しています。この事実を知ったとき、皆正直驚きました。ある人たちはロスさんに失望しました。ロスさんも、普通の人だ、平凡な老女だといいました。キュブラー・ロスさんに「今まで苦しむ患者を助けてきたのに、なぜ自分を救えないのですか?」と質問すると、彼女は「いい質問ね。人生では二つのことが大事なのよ、愛を与えることと、愛を受け入れることです。わたしは愛を受け入れるということに落第だった。自分を愛することなんてとんでもないと思っていました」と答えています。ロスさんは在りのままの自分が神に愛されている事実を受け入れことが信仰である。神の一方的な恵みと愛とを信じることが信仰と存在の土台であるというのです。神の恵みと愛を受け容れる信仰の上に自分なりの人生を築いていきたいと思います。