2021年12月19日 ルカ福音書2章8-20節「キリストの誕生」

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ルカ福音書2章8節に「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである』と告げた」とあります。「今日あなたがたに救い主がお生まれになった」の「今日」は、ギリシャ語で「セーメロン、カイロス」と言いますが、「今日とか、今とか、現在とか」いろいろな意味があります。「時」とも訳せます。旧約聖書の「コヘレトの言葉」に、「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。生まれる時、死ぬ時」という御言葉があります。その「時」です。ヘブル語「エース」、ギリシャ語は「カイロス」と言います。「定められた時、決定的な時」という意味で、重要な意味を持っている瞬間、チャンス、出会い、仏教的に言えば一期一会(人の一生の中での一度の出会いの時)を意味します。「カイロス、セーメロン、今日」は決定的な時、神に出会い、神と交わる時、瞬間を意味します。
評論家の鶴見俊輔さんは「近代的な時間」と「神話的な時間」ということを言います。「近代的な時間」とは、人がこの世のもの、生活、お金、名誉などを得ようと費やす時間のことです。生き方を検証し、振り返って見ることもしないで、ひたすら忙しく過ごす時間のことです。ギリシャ語では、「クロノス」と言いただ過ぎていく時、時間のことです。
「神話的な時間」とは、エレミヤがあなた方は別れ道に立っていると言うように、人生の中で、大事なことを選び取って行く決定的な時・瞬間のことです。自分の人生を深く考え考える時、真の自分を発見させられる時、人の生きる原点のことです。鶴見俊輔さんは、それらを「神話的な時間」と言います。そして、それらがなければ、人は真に生きられない、死を乗り越えて永遠の命に生きられないといいます。
コリントの信徒への手紙Ⅱ6章2節に「今は恵みの時、今こそ、救いの時」とあります。この「恵み」は「受け入れやすい」という意味で、「救くわれる決定的な時を表すときに用いなさい」という意味です(エフェソ5:16)。「用いる」は「十分に生かす、チャンスを生かす、心を開く」という意味です。クリスマス物語で言えば、クリスマスは心を開く時・カイロスの時です。
11節の「今日あなたがたのために救い主がお生まれになった」の「あなたがたのために」は「あなたの中に」という意味です。「あなたの中に生まれる」は、言葉を換え言えば、「あなたが受け入れる」という意味です。救い主の誕生は、救い主を受け入れることと密接な関係があります。榎本保郎先生は「あなたの心の内にキリストを受け入れたとき、キリストが誕生した。また、その時があなたにとってクリスマスです」といいます。キリストを受け入れるのがクリスマスです。
ルカ福音書19章のザアカイ物語は「ザアカイのクリスマス物語である」と思います。ザアカイの職業は徴税人でたから、世間から嫌われていました。病気のために、子どもの背丈しかありませんでした。いつも劣等感に苦しみ、孤独でした。ザアカイは、イエスは来られることを聞いて、先回りして、背が低いために、そこにあったいちじく桑の木に昇って、イエスの来られるのを待っていました。そこにイエスが来られ、ザアカイを見上げて、「急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言われた。すると、「ザアカイは急いで降りてきて、イエスを喜んで迎え入れた」と言います。この「迎え入れる」はギリシャ語で「ヒゥポデコマイ」といいます。「ヒュポ」は「喜んで」、「デコマイ」は「受け入れる」という意味です。
19章9節に「イエスは言われた。『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムも子なのだから、』」とあります。この「訪れた」はギリシャ語で「ギノマイ」と言い、「生まれる」という意味です。「受け入れる」と「生まれる」は深い関わりの中にあります。ザアカイの心の中にイエスを受け入れた。その時、ザアカイの心の中に、救い主が生まれたと言うことになります。
クリスマス物語のマリアがイエスを受け入れる物語です。マリアは「どうして、そのようなことがありえましょうか」と拒絶しています。しかし、天使の慰めによって、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」と、その受け入れがたい事実を受け入れたというのです。マリアの受容物語です。 
マリアとは「頑なな、頑固」という意味だそうです。デユーラーの「母親の肖像」である、大きな目、鼻、尖った頬骨、意思の強い、頑なな女性を想像します。神の言葉を簡単には受け入れなかったマリアです。しかし、聖霊の助けによって、受け入れることができました。受け入れると生まれ変わらされました。新しい歩みを始まりです。渡辺和子先生は「人間にとって大きな喜びは、再出発できることである」と言っています。マリアも、無名の羊飼いたちも、ザアカイも再出発をしています。イエスと出会い、イエスを受け入れ新しい歩みを始めています。
カラヴァジョオに「聖サウロの回心」という絵があります。落馬しているパウロが迫害していていたイエスから罪を許され、回心する場面です。キリストを迫害する者から、キリストを信じる者に変えられる。謂わば、再出発の場面です。カラヴァジョオに幼子イエスが両手を挙げて、母マリアの方に近づこうとしている聖画があります。それに合わせるように、落馬したパウロが光の方に両手を広げて立ち上がろうとしています。サウロの目から、うろこのようなものが落ちています(使徒言行9:18)。サウロの再出発の出来事です。クリスマスは主にある再出発の時です。遅々たる歩みですが、昨日よりも前進する。再び立ち上がって、主を見上げて出発するときです。