2021年3月28日マタイ福音書12章38-42節「悔い改めの恵み」

 与えられたテキストはマタイ福音書12章38-42節です。38節に「すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、『先生、しるしを見せてください』言った」とあります。この「しるし」は「証拠、奇蹟、利益」という意味で、意訳すると、「先生の与える利益は何ですか」となります。イエスはその問いに、直接的に答えないで、「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」と言います。この「よこしま」は、「邪悪、道にはずれている」という意味です。「神に背いている」は、元々は「不義、姦淫」という意味で、「神を捨て、他のものに心を移す」という意味です。「しるしを欲しがるが」の「しるし」は、「自分の利益になるもの、願望や欲求を満たすもの」を意味します。コリントの信徒への手紙Ⅰ1章22節に「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を求めるが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものです」とあります。この「しるし」も「利益、自己満足、自己拡張」を意味します。つまり、律法学者やファリサイ派の人々の求めるのは、自分の利益になるもの、自分の拡張と拡大で、神への信頼関係、神に似せて造られた人間の本来性を失っているというのです。
ブータンは「世界一幸せを感じる国」と言われていましたが、今深いカオス状態になっているといわれます。生活が豊かになり、人間の欲望がふくらみ始め、人間の欲望は何をもっても押さえきれないからです。ブータンはチベット仏教が国教です。その仏教も、一旦目覚めた人間の欲望を押さえ込むことができず、手をこまねいている。人間の欲望、自己中心主義、罪から救うものはあるかという問題に直面させられているといわれます。
「キリスト教の真実―西洋近代をもたらした宗教思想」という著者の竹下節子さんは、「紀元1世紀に小さな教会で始まったキリスト教が、5百年という長い時間がかかりましたが、ヨーロッパの世界に広まった。その要因は、『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい』というイエスが残した愛の教えである。自分を裏切り十字架につける者たちの「救い」のために、自らの命を十字架に献げた。その愛(アガペー)をもって互いに愛し合う教えと信仰が、キリスト教を発展させた。自己中心主義、自己拡張と拡大ではなく、自分を神に献げる信仰が未来を切り開いた」というのです。
39節に「イエスはお答えになった。『よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのほかには、しるしは与えられない』」とあります。ヨナは主なる神から、大きな町ニネベに行き、悔い改めの言葉を告げよと命じられます。しかし、ヨナは主の言葉に従えず、主の前を離れて反対の方向タルシュシュに逃れようとヨッパを出港しました。その航海の途中で台風に遭い、舟が沈没しそうになったとき、舟底に隠れていたヨナが、その台風の原因であることが示され、ヨナは荒れ狂う海に投げ込まれます。ところが、ヨナは大魚に呑み込まれ、三日三晩大魚の腹の中にいました。ヨナは祈りました。「苦難の中で、わたしが叫ぶと、主は答えてくださった。息絶えようとするとき、わたしは主の御名を呼んだ。わたしの祈りがあなたにとどいた」と告白しています。ヨナは大魚の口から吐き出され、ニネベの海岸に打ち上げられました。そのとき、主なる神はヨナに向かって、前と全く同じ言葉、「立って、あの大きな町ニネベに行き、あなたに命じる言葉をこれに伝えよ」と命じました。ヨナは恐れたニネベに向かって、毅然として神の言葉を告げるのでした。ニネベの人々はヨナの言葉を聞いて、方向転換し、悔い改めたのです。ヨナは変えられました。自分の思い、願望や欲求が第一ではなく、神の言葉を第一に、主の言葉に従いました。この「しるし」は、「象徴、シンボル、真理の象徴」という意味です。つまり、ヨナのしるしは悔い改めであるというのです。
41節を意訳します。「律法学者がファリサイ派の人々が軽んじていたニネベ人々によって、あなたがたは裁かれる。なぜなら、ニネベの人たちはヨナの言葉を聞いて悔い改めたが、あなたがたは、ヨナにまさる者(主イエス)がここにいるにもかかわらず、悔い改めようとはしない」となります。最も本質的なことは悔い改め、方向転換であるというのです。「悔い改め」ですが、ギリシャ語では「メタノイア」と言って「メタ・方向転換、向きを変える」と「ノイア・考え、思い」という意味です。山浦玄嗣さんは「考えをきっぱり切り換える」と訳しています。今までの考え思いを切り換え、神の方に向く。自分の考えや思い、自分の欲求、願望、利益を超えて、神の御旨を尋ね、神の御旨に従うことを意味します。
フィリピの信徒への手紙3章8節に「そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切が損失(無価値)と見ています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたとみなしています・キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです」とあります。パウロのものの見方、考え方、生き方、価値観が根本から変えられました。イエスとの出会いによって、弱さや罪から解放され自由にされました。どのような状況でも、感謝と喜びを見出していきました。イエスに寄り添っていただき、悔い改め、方向を転換し、主なる神に向き合っていきましょう。