2021年9月19日 マルコ1章12-15節 「神に支えられて」

 与えられたテキストは「イエスがサタンの誘惑を受けた」ところです。共観福音書を比較すると、マルコ福音書は非常に簡潔で、マタイとルカ福音書はサタンの誘惑の内容を詳細に記しています。例えば、イエスが四十日四十夜の断食で、空腹で苦しんでいると、サタンが出てきて、「この石をパンに変えてみよ。そうすれば、あなたは神の子とほめたたえられるだろう」と誘惑します。すると、イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の言葉の一つ一つで生きるのです」と言って、サタンの誘惑を退けました。次ぎに、サタンはイエスを高い山の頂に連れて行き、そこから世の繁栄を見せて、「もしあなたがわたしの言うとおりするならば、この世の栄華と冨と誉れを与えよう」と誘惑しました。すると、イエスは「神である主を拝み、ただ主に仕えよ」という御言葉をもって、サタンの誘惑を拒んだと言うのです。それがマタイ福音書とルカ福音書の誘惑物語です。しかし、マルコ福音書は非常に簡潔で、誘惑の内容を詳しく記していません。勿論、マルコ福音書はサタンの誘惑の内容を知っていました。しかし、その内容を記さないところにマルコ福音書の意図があると思います。
12節に「それから、霊はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた」とあります。「それから」は、口語訳で「それからすぐに」と訳されているように、「すると、すぐに」という意味です。つまり、イエスの受洗とサタンの試みとがつながっているというのです。イエスがバプテスマのヨハネから洗礼を受けると、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」という聖霊による神の子の宣告がありました。「すると、すぐに」サタンの試みに出遭われたというのです。洗礼を受けたことは、神の子として十字架の道を歩もうとして出発点に立ったことを意味します。すると、すぐにサタンの誘惑が襲ったというのです。サタンは「誘惑する者」という意味で、イエスを何とかして十字架の道からはずれた道を歩ませようとしました。それがサタンの誘惑だというのです。
14節に「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた」あります。この「悔い改めて」はギリシャ語で「メタノイア-」と言い、「方向転換」という意味です。今までの歩みを180度転換する。キリストに属する者としての生活を始める。それがマルコの言われる洗礼です。つまり、洗礼を受けて、その歩みを始めると、すぐに、サタンの誘惑を受けると言うのです。洗礼を受けたら、すぐに信仰中心の生活になるのではなく、紆余曲折、挫折、行き詰まりがあり、いつも十字架の道からはずれさせようとするサタンの誘惑があるというのです。
13節に「イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた」とあります。「野獣」は人を脅かし、脅威や不安を呼び起こす存在です。その野獣が一緒にいたということは、サタンの誘惑に勝利し、終わったというのではなく、サタンと戦い続けていることを意味します。イエスは、常にサタンと戦っていなければなりませんでした。神の子であるイエスがサタン(誘う者)の誘惑と戦わなければならなかったのですから、わたしたちもサタンの誘惑を受け、戦わなければならないというのです。「四十」は完全数ですから、「40日」で終わりではなくずっとサタンの誘惑との戦いがあるということを意味します。
ペトロの手紙Ⅰ4章1節に「キリストは肉の苦しみをお受けになったのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい」。12節に「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。」とあります。イエスが洗礼を受けて、十字架の道を歩み始めると、すぐにサタンの誘惑に遭われました。わたしたちも試みに遭うのは、避けられないというのです。「驚き怪しんではならない」とあります。イエスの十字架の恵みによってすべてを受け入れることができるようにしてくださるというのです。
知り合いで重い障碍を負った方がおられました。彼は脳性麻痺の障碍を負って生まれました。そして、14歳の時、風邪をこじらせ呼吸困難に陥り、気管を切開して、やっと生命を取り留めました。しかし、多くの機能を失いました。声帯の機能を失い、しゃべることはできません。手の機能も失いましたが、幸いにも右手の指が動きます。指文字とパソコンを使って会話されています。彼は重い障碍を負いながら、ある福祉作業所で働いておられました。その姿には勇気と希望が与えられました。
彼にとって生きることは戦いです。言い換えれば、虚無と絶望に陥れようとするサタンの誘惑との戦いです。サタンは、わたしたちが若くても、年老いても、諦めさせ、絶望と虚無に陥れようとし、希望と信仰を失わせようとしています。わたしたちはサタンの誘惑に打ち勝ったイエスに支えられて、サタンとの戦いの勝利を信じ確信したいと思います。

メッセージを読んで下さり感謝します。キリストの福音が届きますことをお祈りします。