新しい年を神の恵みのうちに迎えることができ、新らたな歩みを始めたいと思います。昨年は世界的には終末のような出来事が相次いで起こりました。しかし、私たちはどのような時代であっても、失望・落胆することのないようにしたいと思います。全て愛をもって創造し支配される神を信頼していきたいと思います。
ルカ福音書13章にある農園の主人の譬え話があります。農園の主人がいちじくの木のところに来て、実を探しています。しかし、いちじくの木には実がなっていません。それも三年も実をならせることが出来ないのです。農園の主人は怒って、園丁に「その木は切り倒してしまえ。なんのために生かしておくのか。」と命じました。すると園丁は「ご主人様、そのままにして置いてください。木の周りを掘って肥料をやってみます。それでも来年実がならなかったら、切り倒してください」と執り成しました。放蕩息子の喩話の父親のように、待っていて欲しいというのです。放蕩息子の父親は、自分を捨て家を出て行った息子をいつも玄関先に出て、帰りを待っていたというのです。息子が帰ってくると、肥えた子牛を屠って、「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなったのに見つかった」と祝ったというのです。神は放蕩息子に寄り添い待っていてくださるのです。神の信仰と愛をもって新たにされて、新しい年を始めたいと思います。
ヨハネ福音書3章では、イエスとユダヤ人の議員のニコデモが、新しい創造について議論しています。イエスが「だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言います。すると、ニコデモはイエスの言われる事の意味が理解できません。ニコデモは議員のため世をはばかって、真夜中にイエスを尋ねました。「年を取った者が、どうして生まれる事ができるのですか。もう一度母親の胎内に入って生まれる。そんなことは出来ません。」と言いました。すると、イエス「だれでも水と霊によって生まれなければ、神の国に入る事はできない」と答えました。「新しく生まれる」は、イエスが十字架に付けられた後、復活されたように、一度古い自分に死に、新しく生まれることを意味します。つまり、イエスの言われる新しさは全く新しい存在になることです。
ヨハンナ・スピリの「アルプスの処女ハイジ」は両親を亡くし、孤児になり、フランクフルトのお金持ちのクララの家に引き取られます。しかしハイジは都会生活に馴染めず、ホームシックにかかり、病気になってしまいます。そこで元のアルプスに返され、アルムというおじいさんと一緒に生活をすることになりました。年老いたアルムはこれまで不幸なことが重なり、心を弱くし、空しい思いに囚われ、厭世的になっていました。アルムは「過ぎたことは取り返しがつかない」と嘆いていました。しかし、ハイジは「過ぎた事でも、取り返しがつかないなんて、そんな事はない」と言います。しかし、アルムは頑なで、ハイジの言葉を素直に受け入れる事はできません。ハイジはアルムに「神様に祈りましょう」と言い、クララから聞いた「放蕩息子」の話を聞かせるのでした。
すると、聖霊が働いのでしょう。その夜、アルムはハイジの寝顔を見ながら「父よ、わたしは天に背き、あなたにも罪を犯しました。もはや、あなたの息子と呼ばれる資格はありません」と、涙を流しながら祈りました。次の朝アルムはハイジにお日様が昇ると、新しい服を着て、一緒に教会へ行こうと呼びかけました。「過ぎたことは取り返しがつかない」と嘆いていたアルムは変えられたのです。頑なで、何事も投槍で、空しい思いに囚われ、絶望していたアルムに、希望の光が与えられるのでした。
イザヤ書40章31節に「主に望をおく人は新たなる力を得、鷲のように翼を張って上る」とあります。「主に望をおく」とは、神にのみ目を注ぐ者のことです。この世に、この地上の物に、この自分に注いでいる目を、天に、神に向けることです。
C・Sルイスは、サタンは私たちに神を仰ぎ見ることをさせまいと働きかけてくる。信仰者が神に注意を向けている時は、いつもサタンの負けである。しかし、そうさせない方法がある。一番簡単方法は神を見つめさせず、自分自身を見つめさせることであるといいます。自分自身から神に目を向けたとき、新しいことが自分の内に始まるといいます。
星野富弘さんの詩に「だれがほめようと、だれがけなそうと、どうでもよいのです。畑から帰ってきた母が、出来上がったわたしの絵を見て、『へえっ』と一声、驚いてくれたら、それでもう、十分なのです」といいます。「母」とは、単に星野さんのお母さんではなく、神のことだと思います。上を仰ぐと、すべてを超越している神の声が聞こえてくる。すると、疲れは癒され、新しく生きる力を得ることができるというのです。
イザヤは「主に望をおく人は新たな力を得、鷲のように翼をはって上る。」といいます。鷲は追い風でなく、逆風に向かってその翼を張った時、上昇します。信仰生活も、信仰の翼を張れば、逆風に遭っても、かえって飛躍するのです。イザヤ書40章29節に、「疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。」とあります。「主に望みをおく人は力を得」の「力」は3回用いられています。ある人は「信仰は力である」いいます。信仰は、私たちに生きる力と希望を与えます。新しく始まる一年、すべてが順調にゆくとは思えません。ひとりでは負い切れないような重荷を負わされるかも知れません。しかし、過去、現在、未来を支配しておられる神を信じていきましょう。水をぶどう酒に変えられたように、日々私たちも変えられます。コリントの信徒への手紙Ⅱ5章17節に「キリストに結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです」とあります。古い者が全く新しくされるという神の約束を信じていきましょう。