今日与えられたテキストは、イエスが十字架につけられる前に、世に遺していく弟子たちになされた別れの説教で、「ぶどうの木の譬え」です。旧約時代に預言者のイザヤとエレミヤはイスラエル民族を実の結ばないぶどうの木に譬えています。イエスはその譬えを引用しています。しかし、イエスのぶどうの木は豊かに実を結ぶぶどうの木です。御自分をぶどうの幹に、枝を弟子たちに喩え、枝が幹に繋がっていれば、豊かに実を結ぶと教えています。そこにイエスの譬えのユニークさがあります。5節に「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」と、2節に「わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。」とあります。イエスにつながっていれば、豊かに実を結ぶことが強調しています。この「豊かに実を結ぶ」の「豊かに」は、ぶどうの実の多さや房の大きさではなく、重量、重さ、豊穣、内実の豊かさを意味します。この先の21章に復活した主イエスが弟子たちに顕現する物語がありますが、ヨハネ福音書は内実の豊かさ、つまり、虚無を越える喜びと希望を伝えようとしています。
弟子たちは十字架死後、イエスを見捨て、ガリラヤに帰り、元の漁師に戻ってしまいました。ある日、漁に出て、夜通し働きましたが、雑魚一匹取れず、失望落胆し岸辺に帰ってきました。すると、主イエスが岸辺に立っていました。そして、「もう1度舟を出して、網を打ちなさい」と言われました。弟子たちは、今夜は駄目だと諦めながら、舟を出し、網を打つと、不思議なことですが、網を引き上げることができないほどの魚が獲れました。彼らは、その網の重さを手に、腕に、足に感じました。つまり、手応え、達成感、報われたという喜びと充実感を身体いっぱいに感じたというのです。イエスはわたしたちに、生きている、生かされている喜び、感謝の実感、充実感を与えようとされているのです。
三浦綾子さんは「信仰は、自分の人生が実り多きことを確信することです。人生は自分の思い通りにならないことばかり、矛盾と不条理に満ちています。しかし、それでもって、人生なんてこんなものだと見限ったり、割り切ったりしないで、豊かな実を結ぶことを信じて生きることです」と言っています。イエスが、ここで、繰り返して言われることは、人生がどんなに厳しい現実であっても、手応え、充実感を持って生きる道があるということです。
前上智大学グリーフケアー(死別の悲しみと悲嘆のケアー)研究所所長の高木慶子先生は、「人生の最期で、『ありがとう』『ごめんなさい』という二つの言葉を言えるかどうか。それは亡くなっていく本人にも、残された者にも、慰めと癒しと希望を与える」と、「死を目前にすると、人生には意味があったかのかという根源的な問いの前に立たされる。その問いに、最終的にこれで良かったと答え得ることが大事である」と述べています。イエスが「わたしにつながっているならば、豊かに実を結ぶ」と言われるのは、人生の充実感、良かったという肯定が与えられることを意味していると思います。
5節に「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」とあります。この「つながる」ですが、「とどまる、住む、居場所がある」という意味です。「remain in、あなたがイエスの中に、イエスがあなたの中にとどまる、住む。」です。「豊かな実を結ぶ」は、「結びなさい、結ばなければならない」という命令形ではなく、事実、約束で、「必ず実を結ぶ」です。
ドイツにゴルヴィツアーという牧師がいました。彼は戦争中シベリアに抑留されていました。シベリアへ送られた者は生きて帰ることはできないと言われる程、過酷な収容所でした。多くの人が寒さと飢えに苦しめられ、諦め絶望し、死に至る病に陥りました。そういう極限状況の中で、ゴルヴィツアーは、この「わたしにつながっていれば、豊かに実を結ぶ」という主イエスの言葉を聴き、真夜中に突然、朝の光が射してきたような思いを与えられたと言っています。「この『豊かに実を結ぶ』という言葉を取り出して、つなぎ合わせてみると、暗い穴から明るい光の中へかけられた梯子を一段一段上っていくような感じを受けた。死と暗黒の中で、実を結ぶ事ができると思えて来た。わずかな小さい光が灯った。故郷に帰ることはできないと諦める状況は少しも変わっていない、体力も気力も萎えてきているのに、その状況が豊かに実を結ぶことの妨げにはならない。その事実に気付かされた。イエスの言葉を支えにすると、希望が見え、生き延びることが出来た」と述べています。
イエスは「わたしにつながっていなさい」と言いますが、同時に、「わたしもあなたがたにつながっている」と言われます。イエスご自身がつながってくださるというのです。イエスの方から手を離すことはありません。ゴルビッツアーは、「自分の歩みを振り返って見ると、何度も挫折し失敗をしたと思う。自分の人生は、人間的な目で見れば、祝福されていたととても言えない。何回も病気をし、子供を失い。妻を苦しめた。しかし、主イエスは、そういう自分に、あなたはわたしの枝である。わたしがつながっているから、豊かに実を結ぶと言ってくださる」と述べています。
11節に「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」とあります。この「喜び」は、苦難を超える、コップの水が溢れ出るような身体全体から湧き出る喜びを意味します。不条理も挫折もすべて包み込んでしまう、豊かな実を結ぶというのです。今日、明日、そのような豊かな信仰の中を生かされていきましょう。