2022年9月25日「わたしの民は大勢いる」 創世記22章1—19節 使徒言行録18章1-11節

与えられた御言葉は創世記22章1-19節です。アブラハムには長い間子どもがありませんでした。しかし、アブラハムが100歳の時に、漸く、子どもイサクが与えられました。しかし、喜びも束の間、その愛するイサクを犠牲に献げよと命じられたのです。アブラハムは愛する一人子ですから、とても犠牲に献げることはできません。悩み苦しみ、葛藤しましたが、遂に、決断し、神の言葉に従い、イサクを献げるのでした。
モリヤの山にイサクを連れて行き、石の上に寝かせ、短刀を振りおろそうとした。12節に「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。」とあります。その時、近くの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていました。その雄羊をイサクの代わりに献げ、イサクもアブラハムも救われました。この出来事から、主は備えてくださる、主の山に、備えありという信仰が生まれたと言われています。コリントの信徒への手紙Ⅰ10章13節の「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遇わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」という信仰に繋がります。
その後、17節に「あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう」とあるように、主の御使いが、再び現れ、アブラハムに言われました。「天の星のように増える」と言いますが、現実の子孫はイサク一人です。神の言葉と現実の間には大きな隔たりがあります。「増やそう」は「数を増やす」のではなく、「質を上げる、輝かす」という意味です。フイリピの信徒への手紙2章15節に「そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかりたもつでしょう。」とあります。アブラハムの人生を星のように輝かせ、豊かにするというのです。
アブラハムはイサクを献げよという神の言葉のために、言葉では言い表せない苦難を経験します。しかし、その苦難が報われるというのです。16節に「御使いは言った。『わたしは自らかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。』」とあります。アブラハムの死ぬような苦しみの経験が、無駄で終わらない、報われる、というのです。
ヨブも苦難に遭いました。ヨブはウツの地で一番無垢で、これほどの義しい人はいないと言われています。それなのに多くの苦難がヨブを襲います。10人の子どもが台風で倒れた家屋の下敷きなり、亡くなりました。その上、財産も奪われ、原因の分からない病気に冒されました。ヨブは、どうして義しい者が苦難に遭わなければならないのかと悩み苦しみ、神に激しく抗議しました。しかし、最終的には、神に出会い、自分の罪を認め、悔い改めました。その結果、ヨブは7人の息子と3人の娘が与えられ、財産も家畜も二倍にして返されました。ヨブの苦難は報われたというのです。詩編126編5節に「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い、喜びの歌をうたいながら帰って来る」とあります。現実的には、労苦が報われないことが多いです。しかし、神は必ず報いてくださる。そのことを信じて、歩んで行くようにというのです。
パウロはテサロニケに伝道に行くと、妨害が起こり、アテネに逃れて行きます。しかし、アテネでもパウロの説教を聞く人はいません。追い出されるようにコリントへ向かいました。しかし、コリントでも、説教中に罵声を浴びせられ、口汚くののしられました。さすがのパウロも失望落胆しました。使徒言行録18章9節に「ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。『恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この街には、わたしの民が大勢いるからだ。』」とあります。主は幻の中に現れ、気落ちしているパウロを絶望しないで希望をもって伝道するようにと励ましました。パウロは「主は気落ちした者を力づけてくださる神である」(コリントⅡ7:6)と言って教会を励ましています。マタイ福音書28章18節に「イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなた方に命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる』」とあります。イエスは常に希望と勇気を与えようとしています。神が共にいるという神の約束を信じて、積極的に歩んで行きたいと思います。
アブラハムはいろいろと弱さを持っていました。何度も失敗し、疑い、偽り、神の期待を裏切っています。教会も、私たちも問題を一杯抱えています。この世には教会の力、私たちの力ではどうすることもできない問題があります。教会も、私たちも無力です。時代の嵐に翻弄されています。しかし、主イエスは小さな教会が、弱さをもった一人一人が、世の祝福の源になる、世の祝福の源にすると言われます。感謝の思いで一杯です。少しでも神に応えたいと思います。創世記12章2節に「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源にする」とあるように、アブラハムは常に神の言葉に励まされ、慰められてきました。神は、土の器に過ぎない者を、教会を、神の祝福のために、用いてくださいます。そのことを信じて、信頼して歩んでいきましょう。