与えられたテキストはヨシュア記17:14-18です。イスラエルの民は、神の約束の地カナンに入り、それぞれの部族に土地の分配を行いました。この箇所は、ヨセフの子孫であるマナセ族に対して、土地の分配がされたところです。その分配に対するマナセ族の反応とヨシュアの対応が記されています。
マナセ族は、アブラハム、イサク、ヤコブに並ぶ族長の一人のヨセフの子孫ですから、有力で、誇るべき伝統を持っていました。彼らは当然、自分たちには特別よい条件の領地、広い土地が割り与えられると思っていました。しかし、実際に与えられた領地は、条件の悪い、生活のしにくい土地でした。彼らは不満をもちました。彼らは、「主が今まで、わたしたちを祝福されたので、数の多い民となった。それなのに、なぜ、ただひとつの分、狭い領地だけしか与えられないのか」と、不満を持ち怒りました。それに対して、ヨシュアが答えます。そのヨシュアの答えが与えられるメッセージです。
ヨシュアは「あなたは数の多い民なのだから、森林地帯に入って行き、その土地を自分で切り開きなさい」と言います。マナセ族は、ヨシュアの言葉を受け入れることができず、反発しました。われわれの言い分を理解し、善処して欲しいという思いがありました。このとき、彼らはヨシュアの深い考えを理解することができませんでした。ヨシュアは、ヨセフの子孫たちが失っていた信仰を呼び起こそうとしたのです。その信仰とは、神はこれまで彼らを守り祝福してくれた。これからも祝福し、守ってくださる。その神を信じる信仰です。これからの彼らの行き先、将来を導いてくれる信仰を呼び起こそうとされたのです。
ヨシュアはモーセから「神は、エジプトを脱出以来、荒れ野の中を、ある時は父が子を背負うように、ある時は母が子を胸に抱くように、イスラエルの民を導いてきた。ここまで力強く導かれた神は、これから、あなたがたの将来も導かれる。今あなたがたの前に難しい問題があるからと言って、不安と恐れにとらわれ、どうして、力強い神を疑うのか。これまで祝福されてきた神が、これからも守ってくださることを信じなさい」と勇気づけ、信仰を共にしました。
マルコ福音書8章にイエスが弟子たちを教え諭すところがあります。弟子たちがガリラヤ湖を渡っている時、パンを持ってくるのを忘れたことに気付き、互いに責め合っている。それを知ったイエスは、「なぜパンがないからと論じ合っているのか。まだ分からないのか。まだ悟らないのか。あなたがたの心は鈍くなっているのか。耳があっても聞こえないのか。まだ思い出さないのか。五つのパンをさいて五千人に分けたとき、拾い集めたパンくずは、幾つの籠になったか」と言われます。イエスは、このことが起こる前に、五つのパンで五千人を養うという奇跡的なことを行い、神が養い、神が共におられる事実を示された。弟子たちはそれを経験したのに、「パンがない」と互いに責め合っている。「パンがない」という問題にとらわれて、神が共にいてくださる信仰の本質を失っているのです。主は奇蹟をもって御業をなさってくださった。その主は、今も、将来も関わってくださる、と言うのです。ヘブライ人への手紙13;7には、「あなたがたに神の言葉を語った指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生涯の終わりをしっかり見て、その信仰を見倣いなさい。イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。いろいろ異なった教えに惑わされてはなりません。」とあります。信仰は、今、ここでも生きて働きたもう神を信じて生きることです。イエスはその信仰に立つことを求められたのです。
ヨセフの子孫が「強力な鉄の戦車をもったカナン人がいる。嫌だ、われわれの力ではどうにもなりません」と不平と不満を言いますと、ヨシュアは、「カナン人は鉄の戦車があって、強敵だが、あなたがたはそれを追い払うことができる」と励ましています。勿論彼らにその力があるから、それを見通して言ったのではありません。今まで彼らと共にいて、勝利を与えてくださった神が、共にいて戦ってくださることを信じた信仰から言ったのです。
さらに、彼らが「自分たちの領地は山地が多くて生活するには狭すぎる。人の住める土地は僅かしかない」と言いますと、ヨシュアは、「森林が多いならば、そこを切り開いて行きなさい。今こそ、あなたがたは皆が力を合わせる時だ。」と答えています。さらに、彼らが「自分たちの領地には、鉄の戦車を持っている強い軍団の先住民がいる。」と言いますと、ヨシュアは、「神の全能の力を頼って戦いに勝ち、その信仰を証しする時が与えられたのだ」と言います。ヨシュアは「信仰に立つと、不利な条件と思われることが、有利な条件に見える、変えられる。」と言うのです。この言葉にヨシュアの信仰をよく表わしています。不利と思われることの中に有利な条件を見出していく、不利を有利へと転換していく、マイナスがプラスになるという信仰です。パウロも、「神は、神を愛する者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださる」と言っています。マイナスをプラスに変えてくださる神が共にいるというのです。その神が私たちのすべてのマイナスはプラスになるように働いてくださると言うのです。
或る方が、職場で突然、配置換えがあり、不本意な部門への配置が決まりました。そのために数日間、心乱されていました。「なぜわたしがそんな箇所へ」と、心の中で叫び続けました。次の日、暗い気持で教会の礼拝に出席されました。そこで語られた言葉は、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と、「大切なのはマイナスはプラスに変えられる主なるイエスに、わたしの内に入ってくださいと祈りなさい」という言葉でした。主イエスを受け入れると、人の言葉で乱されていた心が穏やかになりました。御言葉によって信じる者へと変えられたそうです。マイナスと思い込んでいた配置転換も、受け入れようと思いました。心が温かくなるのを感じ、不安であった職場の配置換えが、喜びと期待に変えられたそうです。
ヨシュア記は、わたしたちの心の目の方向を変えさせてくださいます。方向を変える事を促されます。マイナスをプラスへと変えてくださいます。ローマ8:28に「神を愛する者たち、つまり、御計画に召された者たち者たちのためには、万事が益と成るように共に働くと言うことを、わたしたちは知っています。」と言っています。そのように約束される主なる神を信じて、今朝もそれぞれの場所に遣わされていきましょう