2024年10月13日 「命に至る道を選ぶ」申命記30:15-20 エステル記4:16

与えられたテキストは申命記30:15-20とエステル記4:16です。申命記30章15節に「見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされて他の神々にひれ伏し仕えるならば、わたしは今日、あなたたちに宣言する。あなたたちは必ず滅びる。」とあります。28章69節から始まるモーセの説教です。

28章69節によれば、モーセが荒れ野の旅を終え、ヨルダン川を渡り、カナンの入口のモアブで、イスラエルの人々と神とが契約を結びました。イスラエルの人々は神を愛し、従うと約束し、神はイスラエルの人々に豊かな恵みを与えると約束を交わしました。所謂、モアブの契約です。

今は、モアブの契約を交わしてから、40年近く経過しています。イスラエルの人々がカナンの地に入いって40年も経っていますから、彼らの生活に大きな変化がありました。カナンは、「良い地、豊かな地、乳と蜜の流れる地」と言われるとおり、水も農作物も豊富で、天然資源にも恵まれていました。実際イスラエルの人々のカナン生活は、家を建て、町を造り、貯水槽を備え、ぶどう畑とオリーブ畑を手に入れることができ、豊かになりました。しかし、豊かになると、人間の力を誇るようになり、荒れ野の中を生かし導いてくれた神と神の恵みを忘れ、思い起こすこともなくなりました。シナイで交わした神との契約と約束も忘れ、ヤッハウエの神以外の神々を拝み、頼るようになりました。

申命記に影響を与えたのは南ユダ王国のヨシヤ王と預言者エレミヤです。エレミヤ書21章8、9節には「あなたはこの民に向かって言うがよい。主はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの前に命の道と死の道を置く。この都にとどまる者は、戦いと飢饉と疫病によって死ぬ。この都を出て包囲しているカルデア人に、降伏する者は生き残り、命だけは助かる。」とあります、今、エルサレムはバビロンの王とカルデア人に包囲され、滅亡の危機に直面していました。エレミヤと申命記は「ユダ王国の滅亡の危機はイスラエルの民のヤッウエの神の忘恩にある。ヤッハウエの神との契約を思い起こし、契約を改め、結び直さなければならない。」と説きました。申命記の「申」は「繰り返す、重ねる、更新する」という意味で、「命」は「命令、契約」という意味です。申命記は契約と約束の更新です。

イスラエルの人々は初めに交わした神との契約と約束とを忘れ、信仰をマンネリ化し、他の神々を拝し、ヤッハウエの神から離れ、捨てた。その不信仰と腐敗を改める契約です。エレミヤも、申命記も、ヨシヤ王も、イスラエルの民の不信仰を改め、命の道を選ぶことを求めました。信仰改革を熱心に行っていたヨシヤ王は、その途上で、不運にも、エジプトの王パロのネコとの戦で戦死し、改革は挫折します。

それから数年後、バビロニヤのネブカドネッアルが侵略を始めます。イスラエルにとって国家的危機です。ヨヤキム王はエレミヤの警告を無視し、ヤッハウエの神への信頼を捨て、エジプトに援助を求めました。そのために、バビロニアに連行され、捕囚されます。次のゼデキヤ王も、ヤッハウエの神を捨て、軍の力に頼りました。そのためにゼデキヤ王は倒され、エルサレムは破壊され、イスラエルの人々は捕囚の民としてバビロニアに連行されました。申命記は、神の約束を信じ、命の道を選ばなければ、滅びる、神を信じ、従えば、救われるという信仰の事実を示しています。

申命記30章19節に「わたしは今日、天と地をあなたがたに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。それが、まさしくあなたの命であり、あなたは長く生きて、主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた土地に住むことができる。」とあります。神があなたという人間を、神に従う道を選択し、命の道を選ぶ人間に造り」、導くというのです。

エステル記のエステルはユダヤ人でありながら、ペルシャの王妃に抜擢されます。モデルカイは、ユダヤ人がペルシャの王妃になることに激しく反対しました。「あなたは、王妃ですから、ユダヤ人のために王に憐れみを請い、ユダヤ人の救いを願い出なさい。」とエステルに命じました。エステルは、「しかし、王妃でも、許し無く、王の前に出れば、殺されます。そのような危険なことはできません。」と拒みます。すると、モルデルカイは、「あなたは、このために、神を信じてきたのではないか?同胞の救いのために、命の道を選びなさい。」と迫ります。エステルは、その言葉に促され、命の道を選ぶ、決断をしました。エステル記4章16節「定めに反することではありますが、わたしは王のもとに参ります。このために死ななければならないのでしたら、死ぬ覚悟でおります。」とあります。エステルとは「暗闇に輝く星」という意味です。「命の道を選び、決断する」ことが、暗闇に輝く星、つまり、「エステル」になったというのです。

或る夫人が、突然、五人の子どもを残して、先立たれました。彼女は途方に暮れ、取あえず、夫の兄の世話になることしました。生活のことを考えれば仕方のないことです。引っ越しの日が近づいたある日、イザヤ書2章22節の「人間に頼るのをやめよ、鼻で息をしているだけの者に。どこに彼の値打ちがあるのか。」という御言葉を読んだそうです。神ではなく、人を頼ろうとしていた自分に気付かされたそうです。神に依り頼めという神の教えに気づかれたそうです。を聞きながら、本当に聞いていない不信仰に気付かされたそうです。彼女は悔い改め、義兄,情熱を頼る道ではなく、神を信じ、神に依り頼む道を選んだそうです。その後、女の手一つで、五人の子どもを育てました。苦労をされましたが、心にはいつも平安があったそうです。五人の子どももが立派に成長したとき、あのときの「選び」が、今日の恵みに与りました、命の道の選びが、人に真の命を生きる力を与えると思うと述べていました、

エレミヤ書6章16節に「主はこう言われる。『さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ。どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂の安らぎを得よ。』」とあります。「昔の道」とは、イスラエルの民がエジプトを脱出し、荒れ野を旅した道のことで、神とイスラエルの人々との間には、エレミヤガ婚約した若者に、老いた夫婦の関には、何も入ることができないように、神以外の何者も入り込むことができない純粋な関係であるといいます。「荒れ野の道を求めよ。その道を歩み、魂の安らぎを得よ。」は、「野の道を選択し、歩き通すなら、魂の安らぎに到達する」となります。「魂の安らぎ」は、誰にも、何にも奪われることのない平安のことです。マタイ7章14節で、イエスは「しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」と言われました。命に至る道は狭く、細く険しい道です。しかし、その道を選ぶ者は平安と安息を与えられると言います。イエスの言葉に従う者でありたいと思います。