2024年12月8日 「マリアの祈り」  ルカ福音書1:26-45

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与えられたテキストはルカ福音書1章26-45節のマリアの受胎告知です。「天使ガブリエルが、『マリア、恐れることはない。あなたは神の恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。』と告げました。すると、マリアは『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』と困惑して、言い返しました。すると天使は答えた。『あなたの親族のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六ヶ月になっている。神にはできないことは何一つない。』マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』そこで、天使は去って行った。」36節の天使ガブリエルの「神にはできないことは何一つない」という言葉は、聖書では7箇所で用いられています。その意味では、信仰の本質を表す言葉の一つであると思います。「神にはできないことは何に一つない」の原語は、「ア・ない、not」」と「不可能な、とてもありえない、impossible」」の二つの言葉が使われ、二重否定です。つまり、強調された肯定です。「必ずできる、必ず実現する」となります。また、「神にはできないことは何一つない」の「こと」は、ギリシャ語で「レーマ」、ヘブル語で「ダーバール」と言い「言葉」という意味です。つまり、「神の言葉、神の御旨、神の約束、神の摂理」を意味します。意訳すると、神の発した言葉、神の約束する言葉、神の御旨は必ず実現するというのです、マリアは、ヘブル語で「ミリアム)」と言い、「頑な、頑固、一徹」という意味です。「マリア」と言いますと思い浮かぶのは、版画家デユ―ラーの描いた「母親の自画像」です。とがった頬骨、鋭い眼、大きな鼻、真一文字に結んでいる口をして、神の言葉を信じる強い信仰と直面する試練に打ち勝つ強い意をもった女性を想像させます。  

22節に「マリアは天使に言った。『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』」とあります。マリアは強い信仰を持ち、どのような苦難に出会っても忍耐する女性を想起させます。強い忍耐強い意志を持った上つよいはがどんなに頑なに拒否し、抵抗しても、神の言葉、神の約束、神の御旨は必ず実現するというのです。神の言葉、神の約束、神の御旨、神の支配は、その兆さえ、見えない、暗黒であっても、光が生れ、輝き、必ず実現するというのです。

創世記18章のアブラハムの物語が記載されています。16節に、「彼らの一人が言った。『わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻サラに男の子が生まれているでしょう。』 サラは、すぐ後ろの天幕の入り口で聞いていた。アブラハムもサラも多くの日を重ねて老人になっており、しかもサラは月のものがとうになくなっていた。」12節に、「サラはひそかに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである」とあります。13節に、「主はアブラハムに言われた。『なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供が生まれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている。』」とあります。神の約束、神の御旨は、サラが拒んでも、疑っても、必ず実現する。どうであれ、諦めないで、希望を持って行くというのです。アブラハムは100歳、サラは90歳です、誰もが不可能と思います、しかし、主に不可能なことはありません。神は不可能を可能にします。信じて受け入れたいと思います。

マタイ福音書1章18節によれば、マリアは受胎を告げられたとき、何歳だったのかわかりませんが、ヨセフと婚約していたと思います。マリアは希望に燃え喜びが溢れたと思います。しかし突然、マリアに試練が訪れました。ユダヤでは、結婚前の受胎は、律法で厳しく禁止されていました。マリアは失望したと思います。そのとき、天使のガブリエルが、「神にできないことはない、神の御旨は必ず実現する」と告げます。論理的に説明はできませんが、マリアに飛躍的な出来事が起こります。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と、究極的な信仰を告白しています。「はしため」はギリシャ語で「ドゥロス」と言い、「従属、道具、造られたもの」という意味です。つまり、「わたしは神に従属する者、神に造られた者」。言い換えれば、「神を神とする」。「神は創造主であって、あたしは被造物、道具」という信仰の告白です。

「神にはなんでもできないことはありません」は、マルコ福音書10章25節に記載されています。。「イエスは言われた。『子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。』、弟子たちはますます驚いて言った。『それでは、だれが救われるのだろうか』、イエスは言った。『人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ』」と。人間にはできないことがあります。人間には限界があります。しかし、神は無限の権能を持っています。別の言葉で言い換えると、「人間には、永遠の命、終末的な希望、究極的な罪の赦しはありません。しかし、神にはあります。マリアは『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように』と祈っています。言い換えれば、神の栄光が、この身によって現されますように。という祈りです。・

ある大学生が2年留年して卒業することができ、卒業式に出席しました。しかし、卒業式後、自宅に帰らないで、日本海に身を投げてしまいました。卒業式の前日に、「大変お世話になりました。お陰で、元気になりました」と言って帰られたのです。死後、彼の机の引き出しに、手紙を残してありました。わたしは傍にいながら、何もできない無力さに打ちのめされました。親しくしていただいた精神科医の先生は、「精神科医でも、自死を止めることはできない。死に至る病のために、自ら死を選んでいく人に全力で治療をするが、どうすることもできない現実がある。それができるのは神以外にいない」と言われました。人間は、被造物です。限界があります永遠のいのちや罪の赦し、死を越える究極的な希望を与えることができるのは、神だけです。神は死を越える希望を与えます。マリアは、神を創造主と告白しています。人間は神に造られた者であるという真理を受け入れ、お言葉どおりこの身になりますようにという信仰を与えられました。マリアの信仰を大事にしていきたいと思います。