2025年1月19日 「人生の出立」創世記12:1-4  マタイ2:13-15

与えられたテキストは創世記12章1ー4節です。アブラハムがアブラムと呼ばれていた時代、アブラハム一族はウルからハランに移り住んでから、長い時間が経ちました。そのとき、ハランから出立しなさいと言う神の言葉がアブラハムに臨みました。1、2節に「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。』」とあります。この「離れて」は「捨てる、別れる」という意味があります。「住み慣れた故郷、頼りにして来た家を捨て、わたしが示す地に行きなさい」の「行きなさい」は「出立,旅立、出発」という意味で、キリストの福音を伝えるために用いられる言葉です。マルコ福音書8章34に「それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。『わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」とあります。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、イエスのため、福音のために、自分の命を失う者は命を得る。イエスの言葉は逆説的真理、キリストの福音の本質を伝えています。

パウロは「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」と言っています(コリントⅠ1;18)。神の言葉は、人を生まれ変わらせる力と古い人を脱ぎ捨てさせる力 があると言っています。出立、旅立ちのためには、古い人、古い自分と決別することが求められます。自分を救おうと思う者は命を失うが、神、イエス・キリスト、福音のために命を捨て失う者は、命を得ると言います。

創世記19:18節に、アブラハムの甥ロトの出立物語があります。主はソドムとゴモラの滅亡を予告し、ロトと彼の妻に、「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びる」と警告しました。ところが、ロトの妻は、逃避の途中で、ソドムとゴモラに残してき物が心残りで、心惹かれ、思わず後ろを振り向きました。神の警告どおり、彼女は塩の柱になってしまいました。

フィリピ3章12―14節に「わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上に召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」とあります。この「目標」は「テロス」と言って「終わり、成就、究極的な救い」を意味します。アスリートがただひたすら勝利を目指して、ひたむきに走るように、信仰者も。後のものを捨て、信仰の輝く勝利に向かって、出立しなさいと言います.神は、アブラハムに、「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように」と言いました。神の約束、将来の、究極的な希望です。その約束を信じると、出立、旅立ちます。そのとき、アブラハムの家族は小さな家族でした。それが「大いなる国民にする」と約束されるのです。更に、「わたしはあなたを多くの民の祝福の源にする」と言います。幻です。その幻を信じることができるとき、出立が起こります。

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレンが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。ぺトロとアンデレの二人はイエスの言葉を信じ、受け入れました。新しい出立が起こりました。マタイ福音書2章13-15節には、マリアとヨセフの出立があります。ヘロデ王がイエスを殺そうと捜していることを知り、エジプトに避難の出立をしました。生まれたばかりの乳飲み子イエスを連れて行く、考えられないことです。何が起こっても不思議でない危険な出立でした。マタイ福音書は「それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった」とあります(マタイ2:15)。この「実現する」は「やり直す」という意味です。モーセの出エジプトのやり直しというのです。モーセの出エジプトの時は、イスラエルの人々は、出立の途中、神に背き、疑い、つぶやき、行く道に穴を開け、破損し、多くの人々が滅び、彼らの出立は損失の旅だった。イエスの出立、旅は、その穴を埋め、破れを繕うための出立、旅だと言うのです。主イエスの命がけの出立、旅によって、穴が埋められ、破れは繕われた。一人も滅びないで、全ての人が救いを得ることができました。だから、わたしたちは委ねて、希望をもって、出立できるのです。不思議なことですが、ヨセフとマリアが、イエスが与えられると、エジプトへ出立できたように、イエスを受け入れると、その人の人生に新しい出立が起こるというのです。元国連事務総長ダグ・ハマーショルドは、「道しるべ」という著書を遺されました。「信仰によって、過去の身に起こったすべてのことに『thanks・ありがとう』と言う。同時に、来るべき事柄には『Yes・はい』と受け入れていく。将来は、何が起こるか分からない、自分の思い通りにいかないことばかりかも知れない。それでも、yesと受け入れられる信仰をもって出立する。」と。「わたしたちの内に良いわざを始められた方が、キリスト・イエスの日までに、それを完成してくださる。」神の約束を信じて、希望をもって歩み出しましょう。