与えられたテキストはヨシュア記17;1-18、マタイ15:32-39です。イスラエルの民は、エジプトを脱出後、労苦して、神の約束の地カナンに辿りつき、入ることができました。指導者はモーセの死後、選ばれたヨシュアです。カナンに入国後、それぞれの部族に土地の分配が行われました。マナセ族とヨセフの子らは、アブラハム、イサク、ヤコブに並ぶ族長の一人のヨセフの子孫で、最も有力で、誇るべき伝統を持つ部族ですから、特別良い条件の領地、広い土地が割り与えられると思っていました。ところが、実際に割り与えられた領地は条件の悪い、生活のしにくい山地でした。マナセ族とヨセフの子らは、「わたしたちは祝福されたので、数の多い民となった。それなのに、なぜ、ただ一つの割り当て、それも狭い領地だけしか与えられないのですか」と、不満を持ち、抗議しました。それに対して、ヨシュアは「あなたたちは、神の祝福を受け、神の導きで、数の多い民に成長したのだから、森林地帯に入って行き、その土地を自分で切り開きなさい。」と諭しました。すると、マナセ族とヨセフの子らは、ヨシュアに対し激しく反発し、「とても、受け入れることはできない。わたしたちの言い分を理解し、善処して欲しい」と訴えました。マナセ族とヨセフの子らはヨシュアの深い思いやりと主なる神信仰を理解できませんでした。それでも、ヨシュアは、マナセ族とヨセフの子らに、これまであなたがたを守り、導き、祝福してくれた主なる神を神とし、信頼し、委ねていく信仰の復興を求めました。ヨシュアは、イスラルの民にヤッハウェの神の言葉と教えを伝えたモーセについて度々語っています。「『神は、エジプトを脱出以来、荒れ野の中を、ある時は、父が子を背負うように、ある時は、母が子を胸に抱くように、イスラエルの民を導き、共に歩んで来てくださった。』というモーセの言葉を引用し、ここまで力強くあなたがたを導かれた神は、これからのあなたがたを必ず導かれる。今あなたがたの前に難しい問題があるからと言って、不安と恐れにとらわれ、どうして、力強い神を疑うのか。これまで祝福されてきた神は、これからも守ってくださることを信じなさい」と、マナセ族とヨセフの子ら勇気づけています。
マナセ族とヨセフの子らは、「われわれに割り当てられた領地には、強力な鉄の戦車をもったカナン人がいる。嫌だ、われわれの力ではどうにもなりません」と訴えます。すると、ヨシュアは、「カナン人は鉄の戦車があって、強敵だが、あなたがたはそれを追い払う事ができる。」と励まします。また、「彼らにその戦力があるから、それを見通して言ったのではありません。今まで彼らと共にいて、勝利を与えてくださった神が共にいて戦ってくださることを信じるから言えるのです。」と言います。更に、ヨセフの子らマナセ族は「自分たちの領地は山地が多くて生活するには狭すぎる。人の住める土地は僅かしかない」と言います。すると、ヨシュアは、「森林が多いならば、そこを切り開いて行きなさい。今こそ、あなたがたは皆が力を合わせるときだ。」と言います。さらに、彼らが「自分たちの領地には、鉄の戦車を持っている強い軍団の先住民がいる。」と言いますと、ヨシュアは、「神の全能の力を頼って戦いに勝ち、信仰を証しするときが与えられたのだ。」と言います。ヨシュアは信仰によって、「不利な条件と思われることが、有利な条件に変えられる」と言うのです。
この言葉にもヨシュアの信仰が表われています。不利と思われることの中に有利な条件を見出していく、不利を有利へと転換していく、マイナスがプラスになる信仰です。
マタイ福音書15章32節に、「イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。『群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない、途中で疲れきってしまうかもしれない。』弟子たちは言った。『この人里離れた所で、これほど大勢の人に十分食べさせるほどのパンが、どこから手に入るでしょうか。』」とあります。この「弟子たちは言った」の「言うlは「呟く」という意味です。弟子たちは「パンは手に入らない。出来ない、不可能です」と呟き、諦めた。34節、「イエスが『パンは幾つあるか』と言われると、弟子たちは、『七つあります。それに、小さい魚が少しばかり』と答えた。そこで、イエスは地面に座るように群衆に命じ、七つパンと魚を取り、感謝の祈りを唱えてこれを裂き、弟子たちにお渡しになった。弟子たちは群衆に配った。人々は皆、食べて満腹した。」とあります。「七つのパンと小さな魚で四千人を養う」という出来事を通し、出来ないと諦め、失望落胆している弟子たちを、出来る、神が共にいて、導いてくださるから出来ると信じる者に変えられたというのです。ヤッハウェ、”わたしはある”、わたしはあなた共にいる方、神が共にいる事実を信じ、今、ここでも生きて働き、導いてくださるから、出来る、と信じる者に変えられたというのです。
ローマの信徒への手紙8章26節に、「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。“霊”は神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるようにと共に働くということを、わたしたちは知っています。」とあります。「わたしたちの信じる神は、わたしたちがマイナスと思っていることをプラスになるように働いてくださる。」と言うのです。
或る方は、職場の配置換えで、誰もが行きたくない部署へ配置が決まりました。そのために数日間、「なぜわたしが。なぜあんなところへ」と、心の中で叫び続けたそうです。聖日が来ました。暗い気持で、礼拝に出席されました。そこで読まれた御言葉は「神は、神を愛する者たちと、万事が益となるように共に働く」でした。彼は、礼拝の終わりには、神はマイナスをプラスに変えられるという御言葉が、自分に向けられているように聞くことができ、自分も変わろうと思いました。人の言葉で乱されていた彼の心が穏やかになりました。神の言葉を信じる信仰には人を変える力があると信じることができました。マイナスと思い込んでいた配置転換も、苦難に打ち克力を与えようとした神の意志だと受け入れることができました。ヨシュア記、ローマの信徒への手紙の言葉は、心の目の見る方向を変えることを促しています。「万事が益となる」。神はマイナスをプラスへと変えてくださいます。約束される主なる神を信じ、受け入れて行きたいと思います。