与えられたテキストは、ルカ福音書1;5-20です。:13に「天使は言った。『恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻エリザベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。』」とあります。この「喜び」は、「非常な喜び、溢れ出る喜び」という意味です。「楽しみ」は「大きな喜び、踊り跳びはねる喜び」という意味です。ルカは、「非常な喜び」、「飛び跳ねる喜び」を意味する言葉を並べて、ザカリアの妻エリザベトの受胎の喜び表しています。そこにルカの信仰があります。:7に「しかし、エリザベトは不妊の女だったので、彼らには子供がなく、二人は既に年をとっていた。」とあります。エリザベトが身籠もることは不可能なのに、身籠もった、不可能を可能にする神を讃える信仰があります。喜べない、不条理な現実があるのに、喜ぶ、逆説的信仰です。出来ない、不条理を乗り越える肯定的な信仰です。
「エリザベトの身籠った男の子」はバプテスマのヨハネです。彼は、成人して、神に預言者に召されます。しかし、ヘロデ王によって処刑されます。不条理な人生でした。しかし、ルカは「その子は、喜びとなり、踊りあがるような楽しみになる」と言っています。「楽しみになる」の「なる」は、未来形ですが、「喜びとなった、楽しみとなった」と過去形でも翻訳できます。福音書ルカは、ヨハネの生涯は、ヘロデ王に処刑されるという不条理、不義、苦難に満ちた生涯であったが、喜びであり、楽しみであったと言うのです。
創世記18章には、アブラハムとサラの物語があります。アブラハムが99歳、妻サラ89歳のときに、子どもが与えられると告げられ、次の年、イサクが誕生します。その告知を受けたとき、サラは密かに笑いました。「ひそかに笑った」は、「苦笑」です。サラは疑ったために、口が利けなくなります。しかし、その「苦笑」が、「喜びの笑い」になった」というのです。
創世記26章のイサク物語のイサクの働きは、アブラハムの掘った井戸が、仇敵ペリシテ人に奪われ、破壊され埋められた井戸を、掘り起こし、使えるようにすることでした。イサクが苦労して掘り起こすと、ペリシテ人が引き渡せと迫ります。すると、イサクは、争うことなく、譲るのです。イサクは徹底した平和に生きるです。イサクは長寿を全うし、亡骸は、アブラハムとサラの墓に葬られます。イサクの生涯は、サラの苦笑を楽しみ、喜びになったというのです。イサク、サラ、エリザベト、ザカリア、バプテスマのヨハネの人生は、それぞれ苦難と不条理に満ちた人生です。ヨハネはヘロデ王に処刑されました。エリザベトは心を痛め、心に深い傷を負ったはずです。しかし、福音書ルカは、「あなたにとって喜びになり、楽しみになる」と言うのです。ルカ福音書が伝える信仰,福音です。この「喜び」ですが、ギリシャ語で「カーラー」と言い、「信仰から湧き上がる喜び、永遠なる喜び、霊的な喜び、苦難を越える喜び」を意味し、快楽的に喜び・「エドネー」と区別して用いています。パウロは、ローマ5;3で、「患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出す。その希望は失望に終わることはない」と言っています。苦難と艱難が「喜び・エドネー」になるというのです。
「サンタクロースはいるのですか」の著者フランシス・チャーチは、新聞記者時代、ある少女から「サンタクロースはいるのですか」と質問を受けると、「そうだ、バージニア、サンタクロースはいるのです」という文章をニュヨーク・サン新聞の社説に記載したことがありました。「僕は、この世界は、ある意味で、カ-テンに覆われている世界である。カーテンの向こう側に、美しいキラキラした輝く世界がある。その世界こそ真実であり、永遠である。カーテンの向こう側は、喜び、苦難から生まれる喜びの世界、苦難に打ち勝った勝利の世界がある、と信じている。」と言っています。
ルカ1:17に、「天使は言った。『恐れることはない。ザカリア、あなたの願い聞き入れられた。彼は、エリヤの霊と力で主に先立って行き。父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の分別を持たせて、準備のできた民を主のために用意する。』」とありまず。「主のために」は;信仰にとってより本質的なことです。更に、「エリヤの霊と力で主に先立って行き」とあります。この「先立って行き」は、直訳すると、「主のために、前を行く」となります。「主のために、for the Lord」があります。「主のために」という言葉は、神の信仰を表わした本質的な言葉です。パウロは「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです」と、究極的な信仰を言い表しています。ザカリアも、ヨハネも、「主のために」という信仰が、患難と苦難に耐える力となり、希望となったと言っています。
ヴィクタ-・フランクルは「ロゴセラピー」と心理療法を考え出したと言われます。「ロゴ」は「ロゴス・意味」で、「セラピー・治療、心理療法」です。人が「生きる意味」を見出せるように援助する。意味を見出すことが、心の癒やしになる。なぜ生きるのか、その意味や目的を見つけた人は、どのような苦難や試練にも、打ち勝つことができる。意味こそが人間を生かす力だ」と言っています。シェイクスピアは、「われわれがここにあるのは、自分のためではなく、他の人々の人生をより幸いにするためである」と言っています。
アドベントは東方教会の公現日と西方教会のキリスト誕生の祝祭日の交換が行われたときに、始まったと言われます。東方教会の公現日は洗礼日で、その前40日間を準備期間、断食節として守られていました。それを受けて、西方教会は、誕生日の前40日を準備期間、断食節と守っていました。しかし、再臨信仰の影響もあって、断食節よりも、救い主の到来の待望が中心なりました。コリントⅠ1;6,7に、「キリストについての証があなたがたの間で確かなものとなったので、その結果,あなたがたは賜物に何一つ欠けるところがなく、わたしたちの救い主、主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。」とあります。この「待ち望む」は「ひたすら待ち望む」という意味です。フリピ3:13、14に「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」とあります。からだを伸ばすように、救い主をひたすら待つ、待望するが、アドベントの意味です。罪を赦し、心の痛みを癒し、平和と恵みで満たしてくださる主イエス・キリストをひたすら待ち望みましょう。