主の降誕を祝うクリスマスです。イザヤ9:2に、「暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た.闇の地に住んでいた人々の上に光が照った。」とあります〈協会訳〉。「暗やみの中に歩んでいた」の「歩んでいた」は「倒れ込む」という意味です。「暗闇の中に住んでいた」の「住んでいた」は「座り込む」という意味です。クリスマスは暗やみの中に倒れ込み、闇黒の地に座り込んでいる人々が大いなる光を見、輝く出来事と言います。
ルカ福音書のクリスマス物語では、主イエスの誕生が知らされたのは、ベツレヘムの郊外で野宿をしていた羊飼いであったと言います。「野宿をしていた羊飼い」と言いますから、貧しい人を連想します。何故、貧しい羊飼いであったか、神の秘儀です。神の深いみ旨と意図があると思います。後に、主イエスはペトロや弟子たちに、「あなたがたがわたしを選んだのではない、わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」と言っています(ヨハネ15:16)。主イエスの信仰の原点です。なぜ羊飼いたちが選ばれたか、それは分かりません。神の秘儀です。、ただ、信仰をもって信じ、受け入れる事柄です。蒔かれた種として、そこで精一杯咲くこと、それがクリスマスだと思います。
その夜、羊飼いたちは普段通り、ベツレヘム郊外で野宿していました。突然、天使が羊飼いに近づき、彼らの周りを照らした、と言います。この「近づき」は、イザヤ書64:1「どうか、あなたが天を裂いて降り、あなたの前の山々が震い動くように。」の「天を裂いて降る」と関連があると言われています。主は、天を引き裂くように天から降って、わたしたちの世界に突入して来てくださる信仰です。この情景は、ヤコブがベテルで見た夢を思い起こさせます(創世記28章)。ヤコブが、国を捨て、伯父のラバンを頼ってハランへ旅立ちます。その途中で、野宿をし、石を枕にして横たわりました。そのとき、夢を見ます。一つの梯子が地の上に立っていて、その頂は天に達していました。神の使いたちが梯子を上り下りしている。そのとき、主はヤコブのそばに立って言われた。『わたしはあなたの父アブラハムの神。イサクの神である。わたしはあなたと共にいて,あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず。あなたに語った事を行うであろう。』」と。ヤコブは夢を通して、生きる力と希望を与えられました。
ルカ2:912に「すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」とあります。イエスの誕生は誰もが予想できない出来事でした。預言者イザヤが「誰が信じることができたか。わたしたちは違ったことを望んでいたからだ」と言っているように、だれも信じることができない誕生でした。後に、イエスは弟子たちの足を洗った後、「今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言っています。イエス誕生も後になって深い意味があることを知るのでした。。
「大きな喜びを告げる」の「告げる」の語源は「喜びを伝える」という意味です。意訳すると「大きな喜びを喜んで伝える」となります。主イエスの誕生の本質を伝えいます。貧しい誕生であったが、人間の歴史にとっては、何をもっても、代えることの出来ない出来事でありったというのです。イエスの救いは小さな、目立たない、「手を差し伸べ」でした。ペトロの妻の母親が、高熱で、苦しんでいたとき、イエスは彼女に近づき、手を差し伸べました。すると、彼女の熱は下がり、癒されました。また、イエスが重い皮膚病を患っている人を見て、深く憐れんで、手を差し伸べ、その人に触れました。すると、重い皮膚病の人は癒されました。イエスの行ったことは、「手を差し伸べる」ことでした。
:10に「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。』」とあります。原文どおり訳すと、「わたしはあなたがたのために大きな喜びを告げ知らせる。この喜びは、民全体のものとなる」となります。:11に「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」とあります。原文は「あなたがたのために今日ダビデの町で、、、」で、「あなたがため」が文頭にあり、強調しています。「あなたがたのために、あなたために」です。神は、あなたのために、手を差し伸ばす方として、イエスをお遣わしくださったのです。イエスご自身が梯子を降って、わたしたちのところにおいでくださって、手を差し伸ばしてくださっているのです。それがクリスマス、大きな喜びの日です。
ルカ福音書19章のザアカイは、生まれながら背が低いために、イエスを見たいと、木に登って待っていました。そこを通りかかったイエスは、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひ、あなたの家に泊まりたい」と声をかけました。ザアカイは、「とんでもない、このような収税人のところに」という思いがありました。しかし、イエスの言葉に応えて、家に迎え入れました。イエスは、ザアカイに、「今日救いがこの家を訪れた」と言いました。するとザアカイは、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します」と応えました。ザアカイのクリスマスは、イエスの「ザアカイよ、ぜひ、あなたの家に泊まりたい」という呼びかけ、イエスの「手を差し伸べ」です。ザアカイは心の扉を叩かれた。それに答えて、心の扉を開き、イエスを迎え入れました。そして、収税人ザアカイは「貧しい人々に施します」と、新しい存在に変えられました。新しく生きる者とされたのです。
日野原重明先生は、マルチン・ブーバーの言葉を引用し、「人間にとって大きな喜び(福音)は、新しいことを始め、再出発できることだ」と言います。イエスが手を差し伸べてくださることによって、新しく生きる機会、新しく歩み始める機会が与えられます、大きな重荷を負っても、イエスは、手を差し伸ばし、立ち上がらせ、共に歩もうと言ってくださっています。どのように暗いところに閉じ込められても、イエスはそこに光を差し伸ばし、希望を与えてくださいます。それを知る日がクリスマスです。クリスマスは、主イエスによる再出発の日、新しい人を創造する日です。