新しい年の歩みを始めることができましたことを感謝します。新しい年も主の恵みに支えられた日々を送り、御言葉から福音を聴き従い、祝された歩みを重ねていきたいと思います.
与えられたテキストは創世記12:1-9、マタイ2;13-15です。アブラハム(アブラム)は、ハランに住んでいたとき、神の言葉が臨んで、そこを出立つしました。12;1の「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。」とあります。「行く」は、「出る、出発する、出立つ」という意味です。アブラハムの出立、旅立ちの物語です。12:1を直訳しますと、「出よ、生まれ故郷から。別れよ、あなたの親族から、父と父の家から離れよ」となります。「出よ」、「別れよ」、「離れよ」という三つ動詞の命令形を並べています。血縁、地縁というアブラハムがこれまで頼ってきたもの、言い換えると、過去から出立する、別れる、離れることを強調しています。「出る」は、福音書では、マルコ8;34「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」の「自分を捨て」です。パウロのエフェソ4:22「以前のような生き方をして情欲に迷わされ滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」の「古い人を脱ぎ捨て」です。出立つ、旅立ちのためには、古い人、古い自分、過去のこだわりと決別することが求められています。
創世記19章に、アブラハムの甥ロトのソドムから出立の物語があります。18節に、「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」とあります。この「後ろを振り向くな」は、ロトがソドムとゴモラに残してきたものに、心を引かれていることを意味します。:26には「ロトの妻は、後ろを振り向ったので、塩の柱になった。」とあります。後のものを思い切れなければ、明日に向かって進むことができないと言います。「低地にとどまるな」とあります。「低地」は、元来は「パン、円、楕円形」を意味し、そこから「同じところをぐるぐる回る、何の感動も喜びもなく、ただ、惰性に流される」という意味です。その惰性を断ち切ると言うのです。「山に逃れよ」の「山」は複数形で、山々です。つまり。、一人一人が持っている誰もが果たさなければならない課題、人間の生き甲斐を意味します。その課題、生きる意味に向かい合うと言うのです。パウロはフィリピ3:13で「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、目標を目指してひたすら走ることです」言います。この目標は。こ「テロス」と言い、「終わり、成就、究極的な救い」を意味します。アスリートのように、ただひたすらゴールを目指して、脇目も振らず、ひたむきに生きると言うのです。
12:2に「わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。」とあります。そのとき、アブラムの親族は、妻サラと甥のロトの三人でした。大いなる国民にする」は「数が多い、経済的な繁栄」を意味します。更に、「あなたの名を高め。祝福の源になるよう」というのです。幻、夢です。その夢、幻を信じることができるとき、出立つ、出発が起こるというのです。ペトロは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にする」というイエスの言葉を聞き、「人間をとる漁師にする」という約束を信じたので、網を捨て、舟に父親を残して、イエスに従うことができました。最も本質的なことは神の約束を信じることです。イエスの言葉を信じ、受け入れると、出立つ、出発が起こると言うのです。
マタイ2:13-15はもう一つの旅立つです。2」13「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使がヨセフに夢で現れて、言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。』」とあります。ヨセフは、ヘロデ王がイエスを殺そうと捜していることを知り、エジプトに逃避の旅に出立ったのです。ヘロデ王が乳飲み子イエスを殺そうとしていること知り。エジプトまで連れて行く、というのです。考えられないことです。道は荒野で、道のりも遠いです。何が起こっても不思議でない、大変危険な旅です。「それは、『わたしは、エジプトからわたしの子を呼び出した』と、主が預言者を通して言われたことが実現するためであった」とマタイ福音書は言います。この「実現する」は「やり直す」という意味です。つまり、モーセの出エジプトのやり直しだと言うのです。モーセのエジプトからの出立つは、途中で、神に背き、疑い、つぶやいたために、多くの者が滅びました。彼らの旅で、道に穴は開き、道を破損したというのです。しかし、イエスの出立ち、旅は、その穴を埋め、破れを繕うための旅だと言うのです。イエスの命がけの旅によって、穴が埋められ、破れは繕われた。そのために一人も滅びることはない。全ての人が救いを得ることができたというのです。だから、委ねて、希望を持って出立することができる。また、ヨセフとマリアが、イエスが与えらエジプトへ旅立ことができたように、イエスを信じ受け入れると、その人の人生に新しいことが起き、出立つ、新しい出来事が起こるのです。
戦後、国連事務総長をされたダグ・ハマーショルドは、アフリカのコンゴ(ザイール)の内乱を調停するために向かった飛行機事故で殉職されました。彼の死後、日記が見つかり、「道しるべ」という著書で出版されました。「過ぎ去った事柄にはthanks、来るべき事柄にはYes」と記してあります。信仰によって、過去の身に起こったすべてのことに「thanks・ありがとう」と言う。同時に、来るべき事柄には「Yes・はい」と受け入れていく。「将来は、何が起こるか分からない、自分の思い通りにいかないことばかりかも知れない。それでも、信仰の力を頂いて、yesと受け入れられる。受け入れる信仰をもって出発する」と言っています。「わたしたちの内に良いわざを始められた方が、キリスト・イエスの日までに、それを完成してくださる」。その神の言葉を信じ、受け入れ、希望をもって、新しい年、出立しましょう。イエスの言葉を信じて喜びに満ちた日々を送りましょう。