2022年6月26日「主イエスの深い憐れみ」 マルコ福音書6章30-44節

与えられたテキストはマルコ福音書6章30-44節です。群衆はその日朝からイエスの教えを聞くために、イエスの後をついて来て、時間の過ぎるのも忘れ、夕方になりました。主イエスは弟子たちに「食事を与えなさい」と命じました。弟子たちは「こんなに大勢の群衆では,わたしたちの手に負えません」と答えました。イエスは「パンはいくつあるのか探してきなさい」と言われ、弟子たちは「パン五つと魚二匹しかありません」と答えました。イエスはその五つのパンと二匹の魚で五千人の群衆を養われたというのです。
マルコ福音書は、どのようにして五つのパンと二匹の魚で五千人を養ったか?については、説明はありません。関心がないのです。しかし、なぜパンの奇跡を行ったかについては関心があって、分かり易い説明があります。34節に「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教えはじめられた。」とあります。イエスの群衆に対する「深い憐れみ」が、パンの奇跡生み出したというのです。イエスが群衆を深く憐れんだが故に、五つのパンと二匹の魚で五千人養う出来事は起こったというのです。
この「深く憐れむ」は福音書の中では12回用いられ、イエスの行動との関連の中で重要な意味をもっています。マルコ福音書1章41節に「イエスは深く憐れみ、手を伸ばして彼に触り、『そうしてあげよう。きよくなれ』と言われた」とあります。ライ病人を癒す場面です。ルカ福音書7章11節以下の「やもめの息子を生き返らせる」場面では、13節に「主はこの母親を見て、深く憐れみ、『もう泣かなくてもよい』と言われた」とあります。マタイ福音書9章35節以下の弟子たちを派遣する場面では、36節に「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。」とります。弟子たちの派遣の理由は主イエスの群衆を深く憐れまれる愛の心からであるというのです。
この「深く憐れむ」はギリシャ語で「スプランクゼニマイ」と言い、原語の「スプランクナ」は「内蔵、腸」という意味です。「深く憐れむ」は「相手の痛み、弱さのために自分の内蔵を痛める」ことを意味します。主イエスは群衆の弱り果て、打ちひしがれている姿を見て、酷く心を痛めているのです。主イエスの相手の痛み思う気持ちが弟子たちを派遣する動機とイエスの行動の根本理由であるというのです。主イエスには自分の栄誉や利益を求めようとする思いは少しもありません。在るのは、ただ相手の痛み悲しみに共感、共鳴する心の優しさです。
この「スプランクナゼニサイ・深く憐れむ」が五つのパンと二匹の魚で五千人を養う働きを生み出す結果となったというのです。主イエスはわたしたちの弱さ罪のために内蔵を痛め、わたしたちの弱さ、絶望に共感共鳴してくださるのです。わたしたちが弱さや罪のために苦しみ悩むとき、わたしたちを理解し、受け容れてくださるのです。その意味ではわたしたちは孤独ではありません。わたしたちは決して孤立していません。心を痛めてくださる主イエスが共にいてくださいます。
主イエスのスプランクナゼニサイ(深く憐れむ)は弟子たちの上にも注がれています。弟子たちが派遣された伝道から帰って来て、その報告をしています。弟子たちは、はじめてイエスから派遣されましたから、緊張と不安で疲れ切っていました。主イエスは弟子たちのことを思い、「人里離れたところに行って、しばらく休むがよい」と言います。しかし、弟子たちには休む時間はありませんでした。イエスは疲れ切った弟子たちのことを十分に承知の上で、「あなたがたの手でこの群衆に何か食べ物を与えなさい」と命じました。伝道で疲れ切った弟子たちにとっては厳しい言葉です。しかし、このイエスの言葉にも「深い憐れみ」が満ち溢れています。
36節に「『ここは人里離れた所で、人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。』これに対してイエスは、『あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい』とお答えになった。弟子たちは『わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか』と言った。」とあります。弟子たちはお金もないし、買う店もありません。そのようなことが出来るハズがありませんと抗議しています。そこに描かれるのは「出来ない」とすべて否定的な弟子たちです。主イエスはこの大勢の群衆の中にパンを持っている人がいるから「探しなさい」と言います。弟子たちは五つのパンと二匹の魚を見つけました。しかし、この群衆のためにそれが何になるかというのです。「わたしたちの力ではどうすることも出来ません。わたしたちには力がありません」と言います。それでもイエスは諦めないで「あなたがたの手で食べ物を与えなさい」と言われます。言い換えれば、「あなたがたが必要だ、あなたがたを用いる。あなたがたは無くてはならない存在だ」と言うのです。ここにもイエスの深い憐れみを見ることが出来ます。
福音書はこのパンの奇跡がいつ頃起こったのかについて触れていませんので、分かりません。恐らくバプテスマのヨハネがヘロデ王によって殺されてから間もなくと推測されます。「青草の上に座らせ」とありますから、紀元29年の「春」ではないだろうかと思います。29年と言えば、ユダヤの政治状況は非常に不安定でした。エルサレムにはローマ総督ピラトが着任しています。ピラトは反乱を恐れて多くの者を殺害しました。ヘロデ王もバプテスマのヨハネを殺害しています。恐怖政治が始まり、群衆も弟子たちも恐れと不安と思い患いで打ちひしがれていました。主イエスが度々「恐れるな、小さな群れよ」と叫んでいるように、弟子たちから恐れを取り除かなければなりませんでした。
五つのパンと二匹の魚で五千人の群衆を給食することができたことは、主イエスが共にいて、弟子たちの恐れに勝利した事実を示しています。詩編23編4節に「死の陰の谷を行くときも、わざわいを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖、それがわたしを力づける」とあります。主イエスは無きに等しい小さな存在に深い憐れみをもって見守っていてくださいます。その事実を信じ受け入れ、主イエスに従っていきましょう。