与えられたテキストはマルコ福音書1章21節以下で、「汚れた霊にとりつかれた男をいやす」です。21節に「イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた」とあります。この「驚く」はギリシャ語で「エクプレソー」と言い、「打つ、打たれる」で「驚き倒れる、非常に驚かされた」という意味です。27節には「イエスが、『黙れ。この人から出て行け』とお𠮟りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った」とあります。この「驚く」はギリシャ語で「サムベオー」と言い、「畏れる」で、聖なるもの、新しいもの、力あるものに出会うときに起こる畏れ驚きです。その驚き、畏れが信仰の根源であり、救いの根源にあるというのが今朝の物語の言わんとすることです。
アリストテレスが「哲学は驚きから始まる」というように、倒れるような驚きに出遭って、目を開かれることから真理探究の道が始まるというのです。マルコ福音書も信仰は驚くことからはじまる。イエスに驚倒する、イエスに激しく心を打たれることから、始まるというのです。
22節に「人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである」と、27節には「人々は皆驚いて,論じ合った。『これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ』」とあります。この「権威ある」は「権力がある、威厳がある」という意味ではありません。ギリシャ語「エクスシイア」と言い、「自由、力、能力」という意味です。言い換えると、イエスの教え、言葉には真の自由,力があったというのです。悪霊に取りつかれた男が礼拝中、奇声をあげ暴れだしました。ところが、そこに居た人々は彼に近づくことはできませんでした。だれも彼とまともに向き合う人は居ませんでした。しかし、イエスは彼と向き合います。何の偏見も差別もなく、全く自由に振る舞い、交わりことができました。イエスには罪から解放する「自由と力」がありました。その意味でイエスの言葉には権威、力がありました。27節に「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く」とあります。イエスの言葉に出会うと、悪霊が追放されるという出来事が起こっているのです。
パウロは思い患いや心配で心を弱くしている者のことを「臆する霊に取りつかれている」と表現しています。そして、誰もが臆する霊から解放されなければならないと言います。恐れ、臆病、思い煩いに束縛されて本来の自分を失っている者が、解放され本来の自分を取り戻さなければならない。つまり、本来の自分を取り戻させるのがイエスの言葉です。
ペトロとヨハネが伝道を始めると、ユダヤ主義者の妨害に会い、二人は捕らえられて獄に投じられます。そして、ユダヤの議会に引き出され、厳しい尋問を受け、二度とイエスの名で伝道してはならない。それを犯すならば命の保証はないと脅かされます。その時、ペトロとヨハネは神に向かって「天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものをも造られた主よ、今こそ、彼らの脅しに目を留め、あなたの僕たちが思い切って大胆に御言葉を語るようにしてください」と祈りました。祈り終わると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、大胆に神の言葉を語り出した。彼らは神の支配を信じたというのです。汚れた霊、臆する霊、絶望させる霊、目には見えませんが、神の支配を信じるのです。そうすれば本来の自分に立ち帰り、大胆に御言葉を語れるようになるというのです。
預言者エリヤはアハブ王の迫害と追求を逃れ、ホレブ山の洞窟の中に身を隠し、「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください」と祈りました。余りにも厳しい迫害と追求に絶望し,諦めたのです。その時、神はエリヤに臨みます、「エリヤよ、ここで何をしているのか。そこから出てきて、わたしの前に立ちなさい」と命じました。更に、「わたしはイスラエルの七千人を残す。これは皆バアルにひざまずかず、これに口づけしなかった者である」と告げます。すると、神の言葉は暗い穴ぐらに隠れていたエリヤを再び立ち上がらせ、恐れと絶望から解放しました。
ラインホルド・ニーバーに、「神よ、変えることの出来るものについて、それを変えるだけの勇気を我等に与え給え。神よ、変えることの出来ないものについては、それを受け容れるだけの冷静さを与え給え。そして、変えることの出来るものと、変えることの出来ないものとを、見分ける知恵を与え給え。」という祈りがあります。人が新しく生まれ変わることの意味を歌った言葉です。また、イエズス会の司祭のアントニ-・メロも「人は、変わりたい、変わろうという気持ちを失ったら、生きられない。わたしたちはこの殺伐とした時代の中で、変わろう、変わりたいという心を失いがちです。そのために不安と絶望の中におかれています。変わろう,変わりたいという思いが起きるためには、驚きが必要です」と言っています。驚きがなければ生きることができない。生きるということは,驚くことであると言うのです。
ヨハネ福音書3章3節に「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない』」とあります。イエスの言葉はわたしたちを立ち上がらせてくださいます。イエスの言葉に出遭い、驚嘆させられ、新たにされたいものです。イエスの言葉の力によってあらゆる恐れと絶望から解放されたいものです。
メッセージを読んで下さり感謝します。キリストの福音が届きますことをお祈りします。