ヨシュアがヨルダン川を渡り、神の約束の地カナンに入ろうとしているときのことです。カナンに入るのですから、いろいろと難しい問題が予想され、不安と恐れで、心を弱くしていました。恐れ戸惑うヨシュアに神の言葉が臨みました。ヨシュア記1章5節に「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。わたしは、強く雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」とあります。「あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう」となっていますが、本来は、「立ちはだかる者はいない」という事実の断言です。また、「強く雄々しくあれ。うろたえてはならない。おののいてはならない」と命令形になっていますが、原文は、「わたしが強くし、雄々しくする」となっています。「うろたえてはならない、おののいてはならない」は、「うろたえない」「おののかない」という事実の断言です。
ヨシュアはどうすれば、強くされ、雄々しく、うろたえないでいられるのでようか・・・。 それはヨシュアが終わりを信じ受け容れることができたからです。ヨシュアは神の約束の言葉通り、ヨルダン川を渡り、カナンの地に入り、1シケムの契約を成立させ、110歳の生涯を終えました。その意味では勝利を得え、大きく報われた人生を終えました。信仰的には勝利の終りから、今の人生を見るということであるというのです。浅野順一先生は「神を信じる者は終わりから生きる者のことである。若い時には考えませんでしたが、今、いろいろなことを経験すると、終わりから、現在を見ることが大事だと思うようになりました」と述べています。普通人は現在の自分から将来の人生を考えます。しかし、聖書の考え方は違います。今の自分から将来を考えるのではなくて、人生の終わりから、今の生き方を決めるというのです。信仰の人生はマラソンにたとえることができるといいます。マラソン・ランナーは、長い距離を走りますから、百メートルのランナーのように、初めから猛スピードで走りません。ゴールを考えて走り方を決めます。信仰の人生も同じであると言われます。人生の終わりから考え、終わりから設計するというのです。
市民ランナーであったタレントの間寛平さんは「ゴールがあるから、途中、どのように苦しくても、辛くても、走ることができる」と言っています。「ゴール」は、ギリシャ語で「テロス」と言い、テレオー・終わりの名詞で「目的」という意味で、完走した喜び、感動、報酬を意味します。マラソンは途中苦しいことがありますが、完走の感動と喜びがあります。信仰の人生も同じです。途中不条理なことや苦しいことに出会いますが、終わりに勝利、神に報われる喜びを信じています。つまり、終わりの勝利を先取りして、今を生きることができるというのです。
マタイ福音書25章14節~30節に「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たち呼んで、自分の財産を預けた。、、、さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、かれらと清算を始めた。、、、主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くもものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』」とあります。この「清算する」はギリシャ語「アポデドミィー」と言い、「報われる」という意味があります。厳しい試練に出会っても、その歩みは必ず報われる。神の恵みを信じて、試練に打ち勝つ勝利を先取りしていく。それが清算、決算です。終わりの時に報われることを信じ、先取りし、今の人生を形成していくというのです。
フィリピの信徒への手紙3章13節に「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」とあります。「目標」はテロス・目的と言う意味です。パウロは、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞と言います。テロス・目的、つまり、神の賞を得るために、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向け、ひたすら走ると言います。
テモテへの手紙Ⅱ4章8節に「世を去る時が近づきました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。かの日にそれをわたしに授けてくださいます。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれでも授けてくださいます」とあります。パウロは義の冠を授けてくださるゴールを見据えて、走っているといいます。
コリントの信徒への手紙Ⅰ15章58節に「主に結ばれているならば自分たちの苦労が無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」とあります。キリストの結びついているならば、一切の労苦は無駄にならない、終わりの日に報われる、と言います。そのことを信じて、今を大事にし、日々の歩みを続けたいと思います。
メッセージを読んで下さり感謝します。キリストの福音が届きますことをお祈りします。