2021年8月22日サムエル記上16:1-13ヨハネ福音書15:16「神の選び」

 サウル王が退けられ、ダビデが油を注がれ、王に選ばれるところです。7節に「しかし、主はサムエルに言われた。『容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼(エリアブ)を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る』」とあります。「主は心によって見る」が、日本聖書協会訳では「主は心を見る」となっています。新共同訳が「心を見る」を「心によって見る」と翻訳したところに注目します。「主は心を見る」は律法的、倫理道徳的な教えになりやすいので、「心によって見る」と翻訳したのではないでしょうか。例えば、カインとアベル物語ですが、神はカインの捧げ物を拒絶しましたが、アベルの捧げ物は受け容れました。聖書はその理由について記していませんので、いろいろな解釈がなされてきました。問題はカインとアベルの心ではないかというのです。カインは嫌々ながら献げたが、アベルは心から感謝して献げた。神はアベルの心を認め、カインの心を拒絶した。アベルのように、心から捧げ物をしなければならないというのです。つまり、教訓、道徳倫理的な教えとして読むのです。「主は心を見る」と読むと、道徳的な教訓となりがちで、新共同訳はそれを避け、「主は心によって見る」と訳し、福音的、信仰的に解釈しようとされたのではないでしょうか。「心」は、元来は「中心、真ん中」という意味で、「神の中心、神の真ん中」を意味します。言い換えれば、神の恵みと愛と憐れみです。つまり、主は恵みと愛によって見る、選ぶというのです。
コリントの信徒への手紙Ⅰ1章26節に「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。ところが、神は、知恵ある者が誇らないために、世の無学な者を選び、力ある者が誇らないために、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位ある者が無力な者とするために、世の無きに等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を敢えて選ばれたのです」とあります。神は世の無学な者、世の無力な者、世の無きに等しい者を神の心によって選ばれたというのです。
ダビデはベツレヘムのエッサイ家の7人兄弟の末っ子です。ベツレヘムはユダの氏族の中で小さき者です。エッサイ家は、名もない、貧しい羊飼いです。サムエルは新しい王を選ぶためにエッサイ家を尋ねますが、ダビデがいることを知りません。父親のエッサイも、ダビデが選ばれるとは思ってもみませんでした。ですから、羊の世話をさせていました。神の選びは、家柄とか、働きとか、業績とかにとらわれない、人間が関与できない神の権限と自由であるというのです。その意味では、わたしたちには分かりません。わたしたちはその事実をただ信じて受け入れるだけであるというのです。
浅野順一先生は、「選びは、私たちには分からないことである。ただ、自分が(他人がどうのこうのではありません)選ばれていると積極的に考えていく。神は何の資格も、功績もない者を選んでくださることに受け入れ、肯定する。自分は選ばれていないと否定的、消極的に考えてはならない。否定的に消極的に考え、信じ受け入れない理由にすることは、最も不幸なことである。サウルは王を退けられました原因は自己卑下と自己諦観、自己否定にある」と述べています。
サウル王は、神から「アマレク人を討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ」と命じられました。しかし、サウル王は、神の言葉に従わないで、彼の部下たちの「値打ちのないもの、つまらないものは滅ぼし、良い物は残しておき、神に献げましょう」と言う言葉に従いました。その事実が、サウル王が退かられ、選ばれない理由であるというのです。また、サウル王の誤りは「主は油を注いで、あなたをイスラエルの王に選んだ。」という神の言葉と選びを重大に考えないで、神の心を否定したところにあるというのです。
マタイ福音書25章に「タラントンのたとえ」があります。一タラントンを与った者が、神は恐ろしい方だからと、与った一タラントンを地面に隠しておき、決算の時に、一タラントンのまま返しました。すると主は、この役立たずの僕を外の暗闇に追い出しなさいと命じたというのです。彼は、悲観的に、否定的にしか理解できず、自分を卑下し、選ばれていることを信じられないで、神の心に答えられないのです。イザヤ書43章4節に「わたしの眼にあなたは価高く、貴い」とあります。自らを虫けらのような者だと自己卑下している捕囚民に神に選ばれるという信仰から生まれる希望と勇気を与えているというのです。
ヨハネ福音書15章16節に「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、わたしがあなたがたを任命したのである」とあります。ペトロⅠ2章9節には「しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです」とあります。神の愛と福音の証人として、神の愛と憐れみによって、召し選ばれていることを信じ受け容れたいと思います。

メッセージを読んで下さり感謝します。キリストの福音が届きますことをお祈りします。