2021年7月25日 エゼキエル3:1-11 ルカ19:8-10 「主に立ち帰る」

 1節に「彼はわたしに言われた。『人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい』。わたしが口を開くと、主はこの巻物をわたしに食べさせて、言われた。『人の子よ、わたしが与えるこの巻物を胃袋に入れ、腹を満たせ』。わたしがそれを食べると、それは蜜のように口に甘かった。」とあります。「巻物を食べる」とは、エゼキエルの召命経験の黙示的表現です。御言葉がエゼキエルに直接的に語りかけられ、エゼキエルが主体的に受け取ったことを強調しています。
イエスが「わたしに従って来なさい」と命じると、ある人は「畑を買ったので、見に行かなければなりません。どうか、失礼させてください。」と、ある人は「牛を二頭ずつ五組買ったので、それを調べに行くところです。」と、ある人は「妻を迎えたばかりなので、行くことが出来ません」と断わりました。しかし、イエスの弟子たちはイエスの言葉に忠実に応え、従ったといいます。「巻物を食べる」は、イエスの弟子たちのように主体的に御言葉を聞いて、従うことを意味します。
「わが涙よ、わが歌となれ」という著書の原崎百子さんは肺癌のために、4人の子どもを残して43歳で亡くなられました。彼女は癌と知りつつ、最後まで希望に満ちた生き方をされ、死を超えた永遠の命につながる希望があるというメッセージを残して逝かれました。大学生の時、チャペルで、神はわたしを守る、わたしは神に自らを献げると約束を交わしましたと記しています。所謂、神に召されたという召命信仰であります。原崎さんは神との約束の上に人生を築きました。エゼキエル的に表現すれば、「巻物を食べる」となります。
1節に「彼はわたしに言われた。『人の子よ、目の前にあるものを食べなさい。この巻物を食べ、行ってイスラエルの家に語りなさい』」とあります。預言者は、神の言葉を預かり、預かった言葉を人々に向かって語る者のことです。巻物を食べるのは、イスラエルの人々に御言葉を伝えるためである。エゼキエルはイスラエルの人々に御言葉を語る使命が与えられたといいます。
4節に「主はわたしに言われた。『人の子よ、イスラエルの家に行き、わたしの言葉を彼らに語りなさい。まことに、あなたは、不可解な言葉や難しい言葉を語る民にではなく、イスラエルの家に遣わされる」とあります。イスラエルの人々は神の言葉に聞き従わなかったため、バビロン捕囚という苦難と絶望の中におかれていました。神はエゼキエルに捕囚の人々に語りなさいというのです。7節に「しかし、イスラエルの家は、あなたに聞こうとはしない。まことに、彼らはわたしに聞こうとしない者だ。まことにイスラエルの家はすべて、額は硬く心も硬い。今やわたしはあなたの顔を彼らの顔のように硬くし、あなたの額を彼らの額のように硬くする」とあります。「硬い心」とは石の心のことです。頑なで、冷たく、無関心で、硬直した心のことです。イスラエルの人々は、神は不条理で、理由もなく、苦しみを負わせたと神を恨み、憎んでいました。その神を恨み憎むイスラエルの人々にエゼキエルを遣わさし、語れというのです。
エゼキエルは、バビロン捕囚の中の一人です。南ユダはバビロン軍のネブカドレツァルとの戦争に敗れ、ヨヤキン王や上層階級の者が捕囚民としてバビロンに連行されました(第一回補囚、598年)。エゼキエルは捕囚の一人でした。それから5年(592年)、ケベル川の河畔で、預言者として召命を受けます。5年後第二回目の捕囚が起こります。バビロン軍はエルサレムと神殿を破壊しました。時のゼデキヤ王は両眼をえぐり出され、鎖に繋がれ、バビロンに連行されました。エゼキエルはその危機を予感し、たびたび警告し、神に立ち帰って、悔い改めなければならないと語りました。しかし、頑なな、石の心のイスラエルの人々は、エゼキエルの言葉に耳を傾けることはありませんでした。エゼキエルは恐れ、戸惑い,ひるみました。神はエゼキエルに、「彼らを恐れ、彼らを前にたじろいではならない」と励まし、絶望しないで、諦めないで、語り続けよというのです。
11節に「たとえ彼らが聞き入れようと、拒もうと、『主なる神はこう言われる』と言いなさい」とあります。不条理に失望落胆しないで、諦めないで、神は報いてくださることを信じて語り続け、結果は主に委ねよというのです。
エゼキエルの信仰の原点は神の召命経験にありました。エゼキエルは、ユーフラテス川の支流のケバル河畔で、神の栄光を見せられ、神との出会いを経験しました。ヨハネ福音書15章16節に「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが行って実を結び、その実が残るようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」とあります。神に選ばれ召されたという信仰と使命がエゼキエルの原点でした。
ルカ福音書19章8節に「しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」とあります。徴税人ザアカイは不思議な導きによって、イエスと出遭い、その出遭い後、生き方は180度変えられました。イエスとの出会いはザアカイの信仰の原点です。その後の彼の人生は、イエスとの出会いの上に築かれました。
牧ノ原やまばと学園の長沢巌牧師は、青年時代、盲腸から腹膜炎を併発し死を宣告されました。その時、先生は、「もし、生命を与えられるならば、今度こそ、神様にこの生命を献げます」と誓いました。不思議にも、奇跡的に死を免れ、命を得ることが出来たそうです。その後の長沢先生の生涯は、その誓いと約束の上に築かれました。長沢先生、原崎百子さん、エゼキエル、信仰の原点の上を歩まれました。私たちも、それぞれが神と交わした約束に立ち帰って、信仰の歩みを続けて行きたいと思います。