与えられたテキストはマタイ11章2-6節です。バプテスマのヨハネはユダヤの王ヘロデの悪政と悪行に激しく抗議したために、死海の東方にあるマケルスの山頂の牢獄に捕らえられていました。その獄中から、イエスのところに「来るべき方(メシア)はあなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」という問いを持たせて、弟子を送ったところです。
ヨハネが荒れ野で宣教していた時に、イエスの方から「洗礼を授けてほしい」と願ってきました。ヨハネは「わたしは水で洗礼を授けるが、あの方は聖霊と火でもって洗礼を授ける。わたしは、あの方の靴の紐を解く値打もない」と、告白し、イエスに洗礼を授けました。それから三年後、ヨハネの耳にイエスの福音宣教と働きの様子が伝わってきました。そこで、ヨハネは「来るべき方(メシア)はあなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか」と尋ねたというのです。
従来このヨハネの言葉はヨハネのイエスに対する疑いと不満を表していると解釈されてきました。ヨハネは命をかけてヘロデ王と戦っているのに、イエスは戦おうとしない。戦わないイエスを疑い、失望したというのです。救い主と待望していたのに、イエスは何もしない。ヨハネは失望落胆し、もう一度訊ねてみようと思い、弟子をイエスのところに遣わしたというのです。
ギリシャ語の原文を疑問文ではなく、肯定文に訳しますと「来るべき方はあなたでしょうか」ではなく、「あなたこそ、『来るべき方』です」と、「ほかの方を待たなければなりませんか」は、「あなただけを待つべきです」となります。肯定文に読みますと、ヨハネのイエスに対する力強い支持と賛辞になります。ヨハネは、牢獄に閉じ込められましたが、疑ったり、失望したりすることなく、イエスの力強い言葉を聞き受け入れ、喜んで弟子を遣わし、イエスにその旨を伝えたというのです。言い換えれば、ヨハネがイエスに送ったエールになります。
マタイ福音書10章22節に「わたしの名のために、あなたがたはすべて人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」と、10章28節には「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすこのできる方を恐れなさい」と、10章39節には「自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」と、10章42節には「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さい者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」とあります。イエスの言葉には命があります。ヨハネはイエスの言葉を信じ受け入れ、従おうとしているのです。
ヨハネはヘロデ王に処刑されます。彼の生涯は苦難に満ちた短い生涯ですが、イエスを指し示し、イエスに熱いまなざしを向けた生涯です。ヨハネはヘロデ王に迫害され、マケルスの獄屋に捕らえられていますが、絶望していません。喜びと賛辞をもってイエスを指し示しめしています。獄中にありながら、イエスの働きの知らせを聞き心から喜んでいるのです。ヨハネの心を占めているのはイエス・キリストです。
フィリピの信徒への手紙1章12節に「兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。」とあります。パウロも捕らえられ獄に閉じ込められました。「かえって」その投獄の苦難が福音の前進に役立ったというのです。逆説です。フィリピの信徒への手紙1章29節には「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」とあります。ヴィクトール・フィランクルは「それでも人生にイエス(YES)という」と言います。バプテスマのヨハネは、信仰によって、苦難の中に輝ける希望の光を持って生きる者にされたというのです。
イエスは、ヨハネの弟子に「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである」と伝えなさいと命じています。この「つまずく」は、「腹を立てる」という意味です。何かしようとすると、それを妨げるものがあります。思うようにならない、こんなはずではなかったと腹を立てます。しかし、ヨハネはつまずき、腹を立てることはありませんでした。獄に捕らわれ、極限状況の中に置かれても、イエスを来るべき方・メシアだと告白し続けました。
イエスが関わった人々は、目の見えない人、足の不自由な人、重い皮膚病の人、耳の聞こえない人、貧しい人、罪人、収税人でした。富める 者、有力なもの、力のある者は一人もいません。イエスはこの世では忘れられ、捨てられている人々に関わりました。それだけに、多くの者はつまずきました。しかし、ヨハネはつまずきませんでした。イエスに希望を見出し、イエスに従いました。マタイ11章11節に「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった」とあります。イエスはヨハネを偉大な者と讃えています。
フィリピの信徒への手紙3章13節に「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」とあります。長い間ガンで苦しんだ教会の方がイエスの希望を失うことはありませでした。最期に「教会の皆さんにお世話になりました。有難うございましたと伝えてほしい」と言い、息を引き取りました。彼のような生涯を送ることができたら、最高の幸せです。神の賞を得るために前を向いてひたすら走る生涯を送るイエスの信仰の恵みに与りたいと思います。