2021年2月7日 マタイ福音書10章34-39節「主イエスに支えられて」

 与えられたテキストはマタイ10章34-39節です。東大教授や東京女子大の学長をされた斉藤勇さんは「キリスト者であるために損をしているという思いをいつも持っていた。キリスト者でない方が学者として、東大の教授としてやり易かったと思う。何か発言すると、『あなたはクリスチャンだから、そんなことを言うが、日本では通用しないよ、非常識だ』と批判され、非難されました」と述べておられます。しかし、先生は損をするからと、信仰を弱めたり、教会から離れたりすることはありませんでした。損をすることを大切にする生きた方を貫かれました。世の誉れや栄誉を受けるよりも、終末の時、神から「よき忠実な僕よ」と讃えられ、目に見えない誉れを受けることを究極の目的にされてきたと言われます。斎藤先生の言われる目に見えない究極の目的を与えようとしているのが、今日のテキストではないかと思います。
同時代に書かれたペトロの手紙Ⅰ4章12節に「愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ち溢れるためです」とあります。14節には「あなたがたはキリストの名のために非難されるなら、幸いです。神の霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです」とあります。イエスは苦難や迫害の中を生き抜く究極的な希望と信仰を与えようとしていると思います。
マタイ福音書10章34節に「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘をその母に、嫁をしゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。」とあります。イエスはあらゆるものを超えた究極的な支えを与えようとしていると思います。
モーセ十戒に「あなたの父母を敬え」とありますように、家族の愛と絆は大切な教えです。イエスは十字架上で息を引き取るときに、弟子に「見なさい。あなたの母です」と言って、母マリアを託し、最後まで親を愛することを啓示されています。また、イエスは「わたしよりも父や母を愛する者はわたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」と言い、親の愛を越える究極の愛と支えを明らかにされました。
福沢諭吉が勝海舟に「キリスト教は孝道を重んじるか」と尋ねると、勝海舟は「彼らの親を大切にすることは、我々の到底及ばないものがある」と答えたといわれます。しかし、イエスは孝道、親に孝行しなければならないという道徳倫理を教えようとされたのではありません。イエスは親子の愛、家族愛、人間の愛は大切である。しかし、それらは、相対的で、有限で、絶対、永遠ではない。わたしたちを真に支えるものは何か、究極的に信頼できるものは何かを示しされたのだと思います。
神谷美恵子さんは「生甲斐について」という著書の中で、ハンセン病の患者が不条理な苦難を通して普遍的な真理を見出していく過程を記しています。ハンセン病に侵されることによって、真に自分の存在を支える究極的なものは、自分の外側にあり、取って付けたものではない。それ自体で存在する神である。その意味では神は絶対の存在であり、究極の支えであると言っています。
詩編46編2節に「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたちは決して恐れない、地が姿を変え、山々揺らいで海の中に移るとも」とあります。究極的な支えがあれば、苦難と試練の時代を生き抜くことができると言うのです。
 8節に「また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである」とあります。わたしたちの人生は不条理です。負わなくてもよい重荷を背負わなければなりません。イエスは、その不条理の人生をよくご存知ですから、苦難と重荷を神に委ねよといいます。
マルコ福音書には、主の十字架を無理やりに負わされたキレネ人のシモンの話があります。シモンが無理やりに負わされたと思っている限り、そこには呟きと嘆きしかありません。しかし、イエスに代わって十字架を負うのだと十字架の意味を見出すことができたとき、十字架を積極的に負えるようになったというのです。わたしたちも望まない重荷を負わなければならないことがあります。イエスはその事実をよくご存じですから、重荷と苦難に意味を見出すことが信仰の本質であるというのです。
 詩編55編23節に「あなたの重荷を主にゆだねよ 主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる。」と、
 ローマの信徒への手紙5章2節に「このキリストのお蔭で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りにします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことはありません。」とあります。苦難の中に終末的な希望と意味を見出す。そうすれば、どのような苦難にも打ち克つことが出来るというのです。イエスの終末希望に支えられて歩んで行きたいと思います。